<詩集><エッセイなど><対談><アンソロジー><参考><リンク>
金井美恵子の「内なる文学史」を作成中。書くことの謎に執拗に繰り返し迫っていた金井美恵子のその問いがどうやって深められていったのかが少しうかがえるかもしれません。それにしても彼女が早くからブランショやフーコーなどを読んでいたことには驚かされます。『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』
『軽いめまい』が文庫になりました。
<小説・絵本>
『愛の生活』、筑摩書房、1968年(第三回太宰治賞次席)。新潮文庫、1973年。(絶版)
《ニコチンの薄い茶色の滓のように徐々に沈殿しながらたまって行く、世界の破片が、わたしたちの日常の疲れだ》
『夢の時間』、新潮社、1970年(芥川賞候補)。新潮文庫、1975年(絶版)。
《見知らぬ土地は、いつも熟知の迷宮だ》
『兎』、筑摩書房、1973年12月。集英社文庫、1979年(絶版)。
《書くということは、書かないということも含めて、書くということである以上、もう逃れようもなく、書くことは私の運命なのかもしれない》
連作小説集。なんともみずみずしい世界。読むことの快楽に浸りながら作者も書いている。
『岸辺のない海』、日本文芸社、1974年3月。中公文庫、1976年。(絶版)
《けれど、そうして、はじめて小説は、今、書きはじめられようとしていた。それは《岸辺のない海》と名づけられるだろう。永遠に欠如した永遠に完成することのない小説を、彼は書きはじめるだろう》
初めての長編小説。これが全然評価されなかったので金井美恵子は腐る。
『アカシア騎士団』、新潮社、1976年。集英社文庫、1980年(絶版)。
《結局、彼の書きはじめた『アカシア騎士団』は完全な形で完成されることはないだろう。なぜなら、どこかに『アカシア騎士団』という小説はすでに存在しているのだ》
『プラトン的恋愛』、講談社、1979年(第七回泉鏡花文学賞)。講談社文庫、1982年。(絶版)
《真実を語ろうとする欲望によって語りはじめられながら、実は真実を覆いつくす言葉を、なぜ語りはじめるのだろう》
『単語集』、筑摩書房、1979年11月。講談社文庫、1985年。(絶版)
《「カフカの短篇の多くは、こう言ってしまえば図式的解釈というそしりをまずがれないにしても、自分の中の作者というものの出現に立ちあうことの戦慄に満ちているように思われる」》(「人生の時間」より)
やはり連作小説集。書くことの秘密にこだわる作者の筆はますます冴えを見せる。
『既視の街』、(写真=渡辺兼人)新潮社、1980年(絶版)。
『くずれる水』、集英社、1981年(絶版)。
《語ってしまうこと、すなわち、物語に仕立てあげてしまうことによって失われ、付け加えられる多くの言葉と物から、やがて、わたしは復讐されるだろう》
ひとつの長編としても読めるこの連作短篇小説集は、『岸辺のない海』から『単語集』へと発展してきた「書くこと」についての「芸術」小説群の総決算とも言える作品。魅惑的な作品だが、今は図書館に入っているかもしれない『金井美恵子全短篇V』でしか読めないかも。これ以降、金井美恵子は「風俗」長編小説にむかう。
『愛のような話』、中央公論社、1984年(絶版)。
《なじみ深く、そう、たとえば自分の身体のようになじみ深くて、そしてそこにいるという抵抗感によって微かな軋みを、そこここに、くぐもった音で鈍く響かせる、紙の肉体、紙の湿り気をおびた言葉。いずれにしても(いや、いずれにせよ、と書いたのかもしれない)私は書きつづけるだろう。》(「グレート・ヤーマスへ」より)
『文章教室』、福武書店、1985年1月。福武文庫、1987年。河出文庫、1999年。
いわゆる「目白四部作」の第一作。この程度ならわたしも書けるわ、という気分で書き出したらしい。でも今ではこっちのほうが有名なのよね。
『あかるい部屋のなかで』、福武書店、1986年12月。福武文庫、1995年(絶版)。
《書かれた作品が何を欲望しているのかといえば、読まれること以外のなにものでもない。――人は自分の欲望によって書く、そして私はまだ欲望しおえてはいないのだ》(「あとがき」より)
「風俗」小説と「芸術」小説の融合短篇群。これで新しい境地が開けた。
『タマや』、講談社、1987年11月(第二七回女流文学賞)。講談社文庫1991年。河出文庫、1999年。
『小春日和(インディアン・サマー)』、中央公論社、1988年11月。河出文庫、1999年。
『道化師の恋』、中央公論社、1990年9月。河出文庫、1999年。
『恋愛太平記1・2』、集英社、1995年6月。集英社文庫、1999年。
『完本 岸辺のない海』、日本文芸社、1995年(絶版)。
《ぼくと書くことの甘美な放心、反復の中に溺れることの、甘やかな恐怖。世界には、いつもすでに書かれたことしか起きはしないのに、すでに書かれた言葉しか書きはしないのに、ひねこびた薄桃色の爪先で、それしか書きはしないのに、まだ、何も始まっても終わってもいない。まだ、何も語られてはいないし、語られたこともないのに――》(「『岸辺のない海』補遺」より)
『軽いめまい』、講談社、1997年。講談社文庫、2002年2月。
《考えてみれば、小説を書くというようなことがなければ(ということは、まあ、少し多くの本を読んだり映画を見たり、多少は分析的に物事を考える習慣を日常化していること、そうしたことで文章を書いて収入を得ていること、という程度のことなのだが)、私も『軽いめまい』の主人公の夏実のように生きていたかもしれない。ようするに、夏実は私なのだ》(『重箱のすみ』より)
『柔らかい土をふんで、』、河出書房新社、1997年。
『リュミエール』に連載されて中絶を余儀なくされたジャン・ルノワール論の小説的発展。ひさびさの芸術的長編。
『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』、朝日新聞社、2000年。
朝日文庫、2002年9月。
小春日和の後日譚。鍋が食べたくなる。
『ノミ、サーカスへゆく』、角川春樹事務所、2001年7月。
『噂の娘』、講談社、2002年1月。
<詩集>
『マダム・ジュジュの家』、思潮社、1971年。(絶版)
じつは詩も書いていた金井美恵子。「ハンプティ」は現代詩の世界に衝撃を与えた。下の現代詩文庫に収録。
『金井美恵子詩集』、思潮社(現代詩文庫:55)、1973年7月。
『春の画の館』、思潮社、1973年。講談社文庫、1979年。(絶版)
『花火』、書肆山田、1983年。(絶版)
<エッセイ、評論、証言>
『夜になっても遊びつづけろ』、講談社、1974年2月。講談社文庫、1977年。(絶版)
《体験などというものを越えた地点でしか、<作品>というものは成立しないのだ。》
丸谷才一編、『四畳半襖の下張裁判・全記録』、朝日新聞社、1976年。(絶版)
『添寝の悪夢 午睡の夢』、中央公論社、1976年8月。中公文庫、1979年。(絶版)
《書くことのはじまりという卵性の原初の問いを自ら問うことではじまる作品のあり方こそ、わたしが書きすすめて行くうえでの最大の関心に他ならない。》
『書くことのはじまりにむかって』、中央公論社、1978年。中公文庫、1981年。(絶版)
『水の城』、「書記」第八号、書記書林、1980年。
『手と手の間で』、河出書房新社、1982年(絶版)。
『言葉と〈ずれ〉』、中央公論社、1983年(絶版)。
《語るのは詩人ではなく<ことば>であり、書くということは、それに先立つ非人称性を通して、<ことば>だけが働きかけ遂行する地点――はじめもなく終りもない――に到達することだ》
ブランショ、バルトらをふまえた金井の文学論的成果。その世界は深くラディカル。
『映画、柔らかい肌』、河出書房新社、1983年(絶版)。
『おばさんのディスクール』、筑摩書房、1984年(絶版)。
『ながい、ながい、ふんどしのはなし。スケッチブック1972〜1984』、筑摩書房、1985年(絶版)。
『セリ・シャンブル3 金井美恵子・金井久美子の部屋』、旺文社、1985年(絶版)。
『小説論――読まれなくなった小説のために』、岩波書店、1987年10月。(絶版)
《何回も繰り返し読むことによってつくられていく読書のもつ喜び、徐々に徐々にその世界がどういうものでできているのかがわかっていく喜び、それは読者が一人の創造者として、まさしくなにかを創造する人間としか呼びようのない読み方で小説を読むことによってしか得られないものだと思います。》(「読み間違える自由」より)
『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ』、日本文芸社、1989年(絶版)。
『遊興一匹 迷い猫あずかってます』、新潮社、1993年6月。新潮文庫、1996年。(絶版)
『本を書く人読まぬ人とかくこの世はままならぬ
Part2』、日本文芸社、1993年(絶版)。
『愉しみはTVの彼方に Imitation
of cinema』、中央公論社、1994年。(絶版)
《テレビの小さな画面に映し出されてしまうことで失われてしまう多くのもの――実はそれこそが私たちの恋人の最も麗しい魅惑、恋人の甘く馨しい吐息をもらす唇、輝くばかりの肌、肌のうえを吹き渡る風、空気のゆらめき、吸い込まれてしまうそうな空間のひろがりといったものなのだが――は、テレビ画面の彼方に、スクリーンの上にしか存在しない、》
『重箱のすみ』、講談社、1998年。
《……『ノンちゃん雲にのる』といった作品を読みながら、ある一時期の幼いよるべのなさと言葉にしてみることの不可能さに切実に苛立つ幼く凶暴な倦怠と、むずむずする幼少年期の肉体の躍動感や笑いが、本のページを繰ることによって開かれて行く世界を発見したのだった。》(「プ−の森の外で」より)
『ページをめくる指』、講談社、2001年。
<対談>
木村敏・金井美恵子、『私は本当に私なのか 自己論講義』、朝日出版社、1983年10月(絶版)。
精神病理学者・木村敏との対談。ところどころに金井美恵子の木村への鋭い指摘があって、なかなかに楽しめる。しかしそれは離人症などの木村サンドのねたに対してであって、「書くこと」という金井サイドのではないのが残念。後者に関しては深め切れていない印象がつきまとうのだった。
蓮實重彦、『魂の唯物論的な擁護のために』、日本文芸社、1994年(絶版)。
入沢康夫、「『アカシア騎士団』書評」、『海』、1976年5月号。
澁澤龍彦、「『兎』書評」、『文芸展望』、1974年4月号。『貝殻と頭蓋骨』、桃源社、1975年。
すが秀美、「解説」、『昭和文学全集31』、小学館、1988年。
杉浦晋、「金井美恵子」、『大江からばななまで−現代文学研究案内』、日外アソシエーツ、1997年。
鈴木啓二、「謎解きから発見へ」、川本皓嗣/小林康夫編、『文学の方法』、東京大学出版会、1996年。
中村三春、「虚構の永久期間−金井美恵子『兎』と<幻想>の論理」、『日本文学』、1992年2月号。
古俣裕介、「金井美恵子論−言語ゲームの発話」、『國文學』、1992年11月号。
藤崎康、「沸騰するエクリチュールの夢のゆくえ」、『図書新聞』、1993年5月9日号。
三浦雅士、「金井美恵子、または物語の作者と作者の物語」、『私という現象』、冬樹社、1981年。講談社学術文庫、1996年。
芳川泰久、「『金井美恵子全短編』T・U書評」、『早稲田文学』、1992年4月6日号。
芳川泰久、「金井美恵子論−水の誘惑 柔らかな強度」、『文学界』、1996年10月号。
吉田健一、「『兎』書評」、『波』、1974年3月号。『読む領分』、新潮社、1979年。
渡辺直己、「『女性的』唯物圏の未聞の生彩 金井美恵子『恋愛太平記』」、『群像』、1995年8月号。
<リンク>
金井美恵子著作リストでは初出付きの詳細な著作リストがある。特に『言葉と<ずれ>』に関しては詳しい。
金井美恵子エッセイ集
目次と索引