萩尾望都

萩尾望都の作品によって、人類は直接に自らの魂と交信することが可能になりました。なぜかと言うと、萩尾さんの漫画では人間の心の底の情念が描かれるというだけではなくて、そうした情念の根底にある人間の謎とでも言うべきものをある独特な仕方で表現しているからです。漫画という強く情念に訴えかける表現方式を用いて、彼女は極度に凝縮された物語を語るのですが、それはある意味ひどく抽象的な凝縮の仕方であって、重層的な物語によって私たちの心と人生の複雑さを純粋かつ謎に満ちたままで提示するのです。こうした手法は手塚治虫が追求していたものですが、彼があくまで観念的な次元にとどまっていたのに対し、萩尾望都は人間の生々しい情念を扱い、かつそれを高度に詩的な絵と言葉と筋で表現するのです。それは私たちの生を真に高度で哲学的な問題として描くことを可能にしています。

萩尾望都のわかりにくさも、そこに理由があるのでしょう。彼女は人間のドラマを描くことだけに関心があるのではなく、そうしたドラマを引き起こさずにはいられない人間の無意識的な心さえも語ろうとするからです。もちろんこれは困難な課題です。しかし驚くべきことに、萩尾望都はSFやファンタジー的なストーリーを駆使してそれを可能にしました。彼女にとってSFは単なる未来への期待や不安を表現する手段では決してなく、すべて一種のアレゴリーであって、人間の謎に満ちた生に光をあてるために使われているのです。現在連載中の『バルバラ異界』においても、こうしたSF的手法がほとんど極限的なまでに駆使されています。その結果、この作品はひどく複雑で難解なものになっており、一般的な読者、たとえば初めて萩尾望都作品を読むような読者をほとんど受け付けないほどであるわけですが、そこまでして自分のテーマを一貫して追い続ける萩尾望都の姿勢にはただただ驚嘆させられます。彼女が偉大な芸術家であることは疑いありません。

彼女が描くテーマは、死と誕生、性、母親の愛などごく限られていますが、作品毎に新たな問題意識をもって一から展開されているので、多様な作品群を生み出しています。このページでは、これらのテーマに共通する「喪」の問題に注目して、いくつかエッセイを書いています。


子どもを殺すその1
現在進行中のプロジェクト。一応萩尾望都論。

子どもを殺すその2の断片
ここで使われている章の名前はぜんぶ何かの引用です。
こういうのってやりはじめたら止まらない。
全部出典を当てた人には何か出るかも。


うーん、ほかにどんなページがあったっけ?