ミラン・クンデラ
Milan Kundera (1929-)
クンデラはストーリーテラーでは決してなくて、時代や性や無理解のはざまに生きる人々の生を作者が吟味し評釈しながら書きます。スタイルとして面白いですね。これは。
<小説(チェコ語で書かれた)>
『冗談 Zert』(1967, 91)関根日出男・中村猛訳、みすず書房、改版1992年。
(「歴史が冗談をしかけているとしたらどうだろう?)
一応映画にもなった初の長編小説。なかなか読後感がよくて、以外と善良な小説といった感じ。おすすめできます。
『微笑を誘う愛の物語 Smesne Lasky』(1970)千野栄一・沼野充義・西永良成訳、集英社、1992年。
題名の通り、滑稽な愛の物語。どれも非常に楽しくて笑えます。
『生は彼方に La Vie est Ailleurs』(1973,
91)西永良成訳、早川書房、新装版1995年。
これはイマイチ印象が悪い。だんだんシニカルで斜になってきているのかも。
『別れのワルツ La Valse aux Adieux』(1976,
86)西永良成訳、集英社、1993年。
子供を作ってしまった既婚の男と女の別れの物語。
『笑いと忘却の書 Le Livre du Rire
et de l'Oubli』(1978, 85)西永良成訳、集英社、1992年。
共産主義時代のチェコにかかわる人々のオムニバス小説。クンデラ節満載でよいです。フランスに亡命した直後に書かれたチェコ時代の総決算。
(権力にたいする人間の闘いとは忘却にたいする記憶の闘いにほかならない。)
(私たちが本を書くのは、自分の子供に関心を抱いてもらえないからなのだ。見知らぬ世間の人々に訴えるのは、自分の妻に話しても、彼女たちが耳を塞いでしまうからなのである。)
(そしてある日、あらゆる人間が作家として目覚めるとき(その日も近い)には、きっと普遍的な聾者と無理解の時代がやってきていることだろう。)
『存在の耐えられない軽さ Nesnesitelna
lehkost byti』(1984)千野栄一訳、集英社、1993年、集英社文庫'98年。
一番有名な作品。最もロマンチックでもあって泣かせる。哲学的でもある。そしてポリフォニー小説という形容がぴったり。
(存在との絶対的同意の美的な理想は、糞が否定され、すべての人が糞など存在しないかのように振る舞っている世界ということになる。この美的な理想を俗悪なものKitschという。)
『不滅 L'Immortalite』(1990)菅野昭正訳、集英社、1992年、集英社文庫'99年。
クンデラの最高傑作にして歴史に残る小説。もちろん、愛すべき小説でもあります。まえの二作とあわせて三部作と言えるかも。
<小説(フランス語で書かれた)>
『緩やかさ La Lenteur』(1995)、西永良成訳、集英社、1995年。
前作とはうってかわって落ち着いた小説。まるでフランス小説のよう。笑えます。あとの二作はまだ読んでないのよね。
『ほんとうの私 L'Identite』(1997)、西永良成訳、集英社、1997年。
『無知 L'Ignorance』(2001?)、西永良成訳、集英社、2001年。
<戯曲>
『ジャックとその主人 Jacques et
son Maitre, Hommage a Denis Diderot en son Trois Act』(1981)、近藤真理訳、みすず書房、1996年。
<評論>
『小説の精神 L'Art du Roman』(1986)金井裕・浅野敏夫訳、法政大学出版局、1990年。
(小説のただひとつの存在理由は小説のみが語りうることを語ることである。)
『裏切られた遺言 Les Testaments
Trahis』(1993)西永良成訳、集英社、1994年。
クンデラは評論もよいです。対象はカフカやムジールやラシュディなど。それがたいへん感動的なのです。全部自分のこと書いてるんだけどね。
<参考・関連>
『ユリイカ』(ミラン・クンデラ特集)1991年2月号。
フヴァーチェク「クンデラの未経験の惑星」千野栄一訳、『青春と読書』1993年10月号。
工藤庸子『小説というオブリガード ミラン・クンデラを読む』、東京大学出版会、1996年。
西永良成『ミラン・クンデラの思想』、平凡社、1998年。
Kvetoslav Chvatik, Le monde romanesque de
Milan Kundera, Paris, Gallimard, 1995.
<リンク>
Le kitsch selon Milan Kundera