ここで翻訳物について一言。文学とはできるだけ原文で読むべきものですけど、なかなかドイツ語やフランス語やロシア語や広東語やギリシャ語やアラビア語やチェコ語やラテン語やイディッシュ語やベルベル語やスペイン語やポルトガル語やポーランド語やイタリア語や朝鮮語やマレーシア語を学んで、文学作品まで読むほどのちからを身につけられるものではないでしょう。そういうわけで、ある程度は翻訳で読むしかないし、それもできれば日本語の翻訳で読みたいと思うのはまあ当然でしょう。そんなわけで、ここで、いい(と思われる)翻訳とかも紹介してしまいましょう。
まずおすすめできるのは、講談社文芸文庫のものです。この翻訳はほとんどどれも新訳で、読みやすく、また詳細な解説や、作者紹介が充実していて、読書案内としてもけっこう役に立ちます。装丁も美しいし。でも、これをおいている本屋さんは良心的なとこだけなので、なかなか見つからないかもしれません。そうそう、ここで出ている日本文学のものも傑作が多くて(もちろんそういう趣旨のシリーズなんだけど)、ぜひとも読んでおきたいものばかり。でも絶版になっているのも多くて、『スミヤキストQの冒険』、『雪の下の蟹;男たちの円居』、『またふたたびの道・砧をうつ女』、『鯨の死滅する日』、『高村光太郎』とかは早速品切れなので注意しましょう。
あと吉田健一訳のはいいよね。『ジェイン・エア』とか『息子と恋人』とか『ブライヅヘッドふたたび』とか。文学全集に入っているので、探して読もう。もち柴田さんのも、村上春樹のもいい、というか、ものすっごくクオリティが高いよね。ドイツ文学では池内紀さんが、フランス文学では堀口大学のものがいい。高橋義孝の訳はあまりよくないでしょうね。でもまあ、訳は好みや、年代や、思い入れによっていい悪いが分かれるというが本音かな? 個人的には、読んでいて楽しい、こなれた日本語になっているのが好み(たとえば、シェイクスピアは福田よりもちくまの新訳の方が繊細、と言うか、より原文に忠実でもあるような気がするので好き)だけど、内容によっては多少文語的なものがいいと思えるときもある。とはいえ、島田雅彦のように勝手に原文を切り刻んだりするのは決して許せない。
基本としては新訳のほうがいいことが多い。『嵐が丘』も新潮文庫で出たのがいいと思うし、『ライ麦』も野崎訳で読もうという人はいなくなるでしょう。昨今の翻訳の理念とは、原文に忠実でありながらかつ豊かで読みやすくもある日本語に訳し、とうぜんいろんな研究をふまえて厳密に、訳者による個性は多少出していいものの(個性のない訳なんて無理だし)、原文の個性も決して殺してはいけないというものになってきていると思われます。そう考えると、日本語の翻訳はかなり信頼度が高く、忠実で、面白いと思われます。
英語の作品を原文で読みたい場合は、Penguin
Modern Classicsとかのシリーズがお気に入りです。冒頭に解説も詳しくついてるし、難しい単語には解説もある。ページもめくりやすい大きさだし、書き込みもしやすい紙質で、価格もリーズナブル。OxfordのシリーズよりPenguinのものが好きです。英語力がない人には、Readersとかいう、簡単な単語のみで書き直されたシリーズもある。
族長の秋(マルケス)
大統領がある日、邸の横を通っていく女子学生を見つけて、呼び寄せててごめにしてしまいます。で、彼はその味が忘れられなくて毎日つづけるのだけれど……ある日、どうもなんかやけに慣れている女の子が続いていることに気がつく。そこで大統領は「おまえは何なんだ」と聞くと、答えるに「制服を着てここを通ってそれでお金をもらっているのだ」と。大統領は「ああどうしておれがこんなひどい目にあわないといけないのだ」と悲しむのです。数ある哀れなエピソードのなかでも、このエピソ−ドがとりわけ哀れに思えてしまうのは筆者が男だからでしょうか?
グレート・ギャツビー(スコット・フィッツジェラルド)
語り手がギャツビーのパーティーにはじめて呼ばれて目にする「一時間かけてゆっくりと近づいていってキスをしようとしている恋人たち」(多少不正確)。この本筋そのものも、長い時間をかけて人を愛する話だよね、そういえば。しかし一時間かけて顔を近づけていくなんていいよね。もちろんこれは比喩的な表現で、一時間かけて親しくというか、キスまでもっていっているんだろうけど、でもいつかやってみたい。それこそ恋愛ってものだよね。
田園交響楽(ジッド)
身よりのない孤児ジェルトリュードをひきとった神父が彼女にヴェートヴェンの田園交響楽をきかせに行ったその帰り道彼女が「あたし、きれいかしら?」と神父に聞いてくる。ここで「きみはきれいだよ
Tu es
joli.」と言ってしまうとそれは口説き文句になってしまうのでそれだけは神父は言えない。そこで「あんたは自分のきれいなことをよく知っているじゃないか」と神父は答えて、ジェルトリュードは機嫌を損ねてしまうのだけれど……ここ、原文ではvousで話しかけているのですよ。この距離の取った言い回しがまずかったんですね。神父にだけはなるもんじゃないです。
人間の土地(サン・テクジュペリ)
砂漠に不時着した主人公たちが砂漠をさまよい歩いて最後に死にそうになったときに、一人のベドウィンに助けられる。その人から水をもらうのだけれど、その、死にかけた時にこそ見えてきた生そのものが水に体現される瞬間。「水よ、おまえが命そのものだ!(L'eau,
tu es la vie!)」。とっても美しい美しい書物です。
ここから演劇
パンドラの鐘(野田秀樹)
20世紀を締めくくる大傑作。見ていない人は永遠に20世紀をさまよいつづけることとなるでしょう。さて、野田の劇は見事なシーンの連続なので、見る人ごとに記憶に残るシーンは違うでしょう。でも野田の演出で一番びっくりしたのは、「もうひとつの太陽が落とされる」とかなんとか言いながら、大きな白い布を舞台一杯に広げて、そこに赤いライトを照らして日の丸にしちゃったシーンです。ものすごいことやるなこの人は、と思ってしまいました。これからも、ものすごいシーンをたくさんお願いします。ほんとに。