台湾映画
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ホウ・シャオシェン エドワード・ヤン ツァイ・ミンリャン

 なぜ台湾映画なのか。と言うか、台湾映画って、中国語映画にはいるんじゃないの?というそこのあなた!それは違うんですよ。台湾語、というのがあって、これは内省人が使う言葉で、もともとは福建省にあった一方言のミン南語だったらしいんです(ニーハオではなくて、リーホー)。文字はな いが、この言葉が使われる映画もけっこうある。それに、客家語というのもあって、これはその内省人が抑圧してきた客家人の言葉。これが使われている映画はあんまり知らんが。北京語を使うのは外省人。 んが、台湾で人に北京語を話しかけても誰もよってこないが、日本語だとよってくるらしいぞ。おお、おまえ日本人かって。で、みなさんあんまりご存じないでしょうが、台湾にはオランダ統治、日本統治、国民軍による支配、そして民主化、という複雑で多層的な歴史がある。この歴史をみなさんご存じないのも仕方がないことで、台湾でも最近、自分の国の歴史を教えだしたんだからね。国民党は中国 大陸の栄光の歴史を教えていたの。日本はもちろん、台湾を「国」として認めていないし、その歴史なんか教えるわけない。でも台湾は韓国や中国よりかはずっと親日的な国で、若者は日本のサブカルに熱中しているらしいし、お年寄りは日本語堪能だ。おばさん、さしみ、ねーさん、かーさん、とーさん、たたみ、は台湾でもそのまま使われているし。ちなみに、このサイトでは台湾を国、として扱うので、もしかしたら中国関係を気にする日本国政府によって強制的にオミットされることがあるかもしれません。あしからず。そうそう、台湾の正式名称は「中華民国」です。「中華」というのが自分以外の国についているのってことを中国政府はゴキブリよりも嫌うので、間違っても、中国人とかのまえでは台湾のことを そう呼ばない方が身のためです。

 さて、台湾の映画には、日本の映画の影響が強い。香港や、韓国の映画にはハリウッド映画の影響が強く、中国(主に上海)には30年代から当時のアメリカ映画の影響なんかを受けた高水準の映画がありました。でも、台湾の映画は、むかし日本文化圏だったってこともあって、小津などの影響が強くあります。そのへん、イラン映画なんかと、かなり近い気がします。というか、映画に新しい風を吹き込んだ90年代にでてきた世界的な監督って、イラン人と台湾人だったってのは、なんだかただの偶然には思えないものがある、などと一人で感動しているのはわたしだけか。でも、台湾もイランと同じく、町には木漏れ日がキラキラ輝いている、南国な印象が共通しているのは確か。食べ物もおいしそうだし。イランには世界で一番古い文化があったけど、台湾にも故宮博物館がある。イランでも大地震があったし、台湾でも大地震があった。どっちも国際社会で孤立気味だ。さまざまな言語が使われていて、民族的(台湾の場合はむしろ社会・歴史的)に複雑なのも一緒。ほんとに、よく似ているなあ。まあ、台湾ではアメリカ型資本主義べったりで、英語もよく使われるし、名前なんかをアメリカンなものにするのにまで抵抗がない、なんだか国民としてのアイデンティティーのなさ、みたいのがあるが、そのへんがほんとはどうなのかってことは、まさに映画を見て味わってほしい部分ですな(エラソウ)。

◆客家人   →晋の時代に黄河流域から四川、広東などに移住してきた人々。台湾にも多く住んでいる。
◆二・二八事件→1947年2月28日、国民党政府の圧政と腐敗に苦しんでいた人々が起こした民衆暴動。
◆国民党   →戦後、中国では共産党と国民党の内戦が起こった。それに敗れた国民党は台湾に撤退し、台北を臨時首都に定めた。
◆白色テロ  →国民党政府は自らの基盤を固めるため、進歩的な考えを持った若い知識人などの反対勢力を、共産党のスパイという名目で大量に逮捕し処刑した。

侯孝賢()1947〜

現代を代表する監督のうちの一人、と言うよりかは、90年代以降の世界の映画に起きたある種の変革における中心的な監督。そういう監督をもう一人をあげるとすれば、キアロスタミだろう。よく、同じ台湾のエドワード・ヤンと比べられることが多いが、ホウ・シャオシェンのほうが主観的で難解な映画を撮る。しかしその映画が与える感動は、いまだ誰もが体験したことがないようなもので、ホウ・シャオシェンの映画を見た、という体験はひとにとって、忘れがたいが、それが何かは理解できないような、そんなたぐいの強烈な体験となって、そのひとを揺り動かすことをやめない。 まあとにかく、この人を擁護するためなら死んでもいいと思わせる数少ない監督です。なんだか一部では評価の低い最近の作品もすごくいいんです。というか映画にこれ以上の何を求めるのだと思っています。

ホウ・シャオシエン監督『珈琲時光(出演=浅野忠信、一青)日本、2003

 小津へのトリビュートとして松竹出資で作られた映画。

ホウ・シャオシエン監督『ミレニアム・マンボ千禧曼波−薔薇的名字(撮影=リー・ピンビン、音楽=リー・チャン、主演=スー・チー)台湾=フランス (2001年カンヌ国際映画祭 高等技術院賞受賞。台湾金馬奨 撮影賞、オリジナル作曲賞、音響賞)、2001 

 冒頭、歩道でたばこを吸いながらスー・チーが歩いていくのをカメラは追っていくのだけど、そこに浮遊感のある音楽と彼女の言葉が重なりだすと(「これは2001年の……彼女の、いまから10年前の話し」)、映像がスローモーションで流されていることが分かってくる。やがて彼女のいく先には地下への入り口が見えてくるのだけど、それはまるでこの映画そのものが私たちを未だ見たこともない過去、あるいは未来へと誘おうとしているように思えてくる……
 10年前の記憶が三人称として語られ、ひたすら長回しで撮られ続けるので、なんだかビデオカメラで撮った昔の映像を見ているような気持ちになってくる。それは自分を撮った映像のようでもあるし、「彼女」の話しであるかのようでもある。しかし、冒頭にも流れた音楽が流れ出すと、昔に確かにそんな時間をすごしたことがあるのかだからなのか、なぜだか胸が高鳴るのを感じるし、夕張のシーンではただもう切なくなってしまう。
 語りはなんだか死ぬほど感動した『好男好女』によく似ている。やっぱりスー・チーがあるなんかヤクザな男と暮らしていて、一緒にご飯食べるとことか、夜中に車にのって上からランプの明かりが次から次へとスー・チーに降りかかるまるで無時間的な呆然とするほど美しいシーンや、なんか猥雑な雰囲気のバーでスー・チーが男たちの前でたばこを吸っていてその煙がゆらゆらといろんな光の中をやっぱり無時間的にのぼっていくシーンとか、そうゆう、過去の出来事の思い出の寄せ集めの映画なの。なんということはない日常の、なんということはない出来事で、とくに文章にすることもできないような、ほんとに何も起こっていないシーンなんだけど、ただ自分の記憶に残っていて、なぜか思い出すようなそんなシーンの寄せ集め。もうそういう過去は、自分のことは三人称になっていて、もう無限の時間のなかにいるように思われる、そんな時間。とくに何にもないけど印象的なそういう記憶って、ほんとに映画が得意な分野だと思うの(金井美恵子みたくすぐれた小説家なら書けるけどさ)。そういうシーンがなぜかありえないほどの強度でつながっているのを目の当たりにするとき、なんだかもう奇跡のような気がするのよね。どうしてそれだけで泣けてしまうんだろう。
 始めは映像が美しいことが嬉しいのだけど、だんだんそんなことはどうでもいいような気がしてくる。この映画は、自分でもよく分からなくて触れることもできない感情や記憶に、直接交信してくるような、そんな不思議な映画です。どうしてこんな映画を撮ることができるのか、撮ろうと思うことができるのか、それがほんとうに不思議でならない。私はわけもわからず、映画史もぜんぜん知らないのに、これこそが21世紀の新しい種類の映画だと確信しています。

ホウ・シャオシエン監督『フラワーズ・オブ・シャンハイ(1998/日=台湾)

ホウ・シャオシエン監督『憂鬱な楽園(1996/台湾)

淀川長治の新シネマトーク

1995好男好女 』(製作総指揮=奥山和由、ヤン・ダンクイ、製作=水野勝博、市山尚三、シェ・ピンハン、キン・ジェウェン、脚本=チュー・ティエンウェン、原作=ジャン・ピーユ、ラン・ボーチョウ、撮影=チェン・ホワイエン、美術=ホァン・ウェンイン、音楽=ジャン・シャオウェン、出演=伊能静 、リン・チャン、カオ・ジエ、ウェイ・シャオホェイ、キン・ジェウェン、ツァイ・チェンナン、ラン・ボーチョウ、ルー・リーチン、ガオ・ミン)日=台湾DVDボックスに収録)

ホウ・シャオシエン監督『戯夢人生』(製作=チウ・フーション、脚本=ウー・ニエンジェン、チュー・ティエンウェン、撮影=リー・ピンビン、美術=ジャン・ホン、ツァイ・ジャオイー、ルー・ミンジン、ホー・シエンクー、音楽=チェン・ミンジャン、ジャン・ホンター、出演=リー・ティエンルー、リン・チャン、ヤン・ソーイン)台湾 、1993

 台湾現代史3部作の第一部だが、劇映画というよりはリー・ティエンルーへのインタビューを中心に当時の情景を再現したものといったふしぎな映画。 北京語はぜんぜん使われていないらしい。指人形劇をなりわいとしてきたこの老人の歴史に揺さぶられ続けた(と言っても劇的なものではないが)生涯が、リー・ピンビンの美しい映像によってまるで夢のような調子を加えられる。もともとはホウ監督の常連俳優だったこの老人から自然発生したような映画なのだろう。監督やスタッフがこの老人に魅了されたであろうように、われわれもこの人物に深く魅了され、その人生について思いをめぐらさずにはいられない。

ホウ・シャオシエン監督『悲情城市 』(1989/台湾) ベネチア映画祭グランプリ獲得

ホウ・シャオシエン監督『ナイルの娘(1987/台湾)

ホウ・シャオシエン監督『恋恋風塵 』(製作=シュ・グォリヤン、脚本=ウー・ニエンジェン、チュー・ティエンウェン、撮影=リー・ピンビン、音楽=チェン・ミンジャン、出演=ワン・ジンウェン、シン・シューフェン、リー・ティエンルー、リン・ヤン)台湾 、1987

ホウ・シャオシエン監督『童年往事・時の流れ(1986/台湾) 

冬冬の夏休み』冬冬的假期(製作総指揮 ウー・ウーフ、製作=チャン・ホアクン、脚本=ホウ・シャオシエン、チュー・ティエンウェン、原作=チュー・ティエンウェン、撮影=チェン・クンホウ、音楽=エドワード・ヤン、出演=ワン・チークァン、リー・ジュジェン、グー・ジュン、エドワード・ヤン)台湾 、1984

ホウ・シャオシエン監督『風櫃(ふんくい)の少年 ()台湾、1983

ホウ・シャオシエン監督『川の流れに草は青々(1982/台湾)

ホウ・シャオシエン監督『風が踊る』(1981/台湾)

ホウ・シャオシエン監督『ステキな彼女(1980/台湾)

楊徳昌(エドワード・ヤン)

『ヤンヤン・夏の 想い出 Yi yi: A One and a Two...』2000

 言うまでもないことだけど、エドワード・ヤンと言う人はショットにすごい特徴があって、見たことのない彼の映画でも、あ、ヤンだと思わせてしまうだろうだけの個性を持った映画監督だ。んで、その個性が同じ台湾のホウ・シャオシェンとはぜんぜん違うところが面白い。彼も基本的にカットバックを使わないワンシーンが長いショットを好むのだけど、そこに映されるのは近代的なマンションや、鏡張りのオフィスがほとんどで、台湾の民族情緒(というものが真にあるのかどうかわかんないけどね)を感じさせるものはほとんどない。んで、個人の内密に迫ったり、共感をもって人物を描いたりすることはあんまりなくて、ずっと引いた視点で、ショットの多くは人物が背景に沈み込んでいるわけ。でもそれが、案外叙情的だったりするから面白い。
 そう、だから空間の使い方が上手いのだと思うの。親と娘が互いに異性と交際している(笑)シーンがあるんだけど、そこで二人の感情がたかぶっている場面ではカメラは引いたままなのね。野外だから。とくに、若い娘さんが男の子とキスするシーンは、なんかコンクリートむき出しのガードの下というその風景がぜんぜん綺麗じゃないだけによけいに美しく思われる(のは勝手な解釈だけどね)。街が主役のようであるかのように、ずっとカメラには街の景色が写ってるのよね。それで、群像劇なわけ。
 お父さん役のYJがぜんぜん冴えない大人ってのもいいよね。昔の恋人にあったりしてメロドラマっぽくなるんだけど、それが冴えない中年だっていうのがすごくいいの。これは、日本映画にはできないだろうなあ。日本人役のイッセー尾形(一番カッコよく見える)もすごくよい。娘役の子もそんなに美人じゃなかったりするものいい。んで、ヤンヤンだけがかわいいのね。
 お話しはね、もういいよっていう感じの悲惨な話ばっかりなの。残酷なの。でもちょっとだけばかばかしいの。みんな馬鹿に描いているのね。これはひどいと思います。YJと昔の恋人とのやりとりなんて、出来の悪いメロドラマの一部みたいにも見える。なんだか凡庸な諦めしか登場人物にのこらないような気もするの。現題は、一つの一と一つの二っていう題なのね。これはよくわかんないやね。
 いままでのヤンの映画の中では間違いなく一番うまい映画だと思います。小さい画面で見ると誰が誰やらわかんなくてイライラすることうけあいだけども、スクリーンに映すかかできるだけ顔を画面に近づけてみると顔は見えます。それが気になれなければ、すごい映画だなあと感心することは間違いないです……。でもなんか……確かに上手いんだけども……話そのものはどちらかというと三面記事程度で、共感できないわけじゃないけど、なんか冷たい感じが嫌いなんだよね。やっぱり、だんぜん『カップルズ』のほうが好きだなあ。

カップルズ(麻雀)1996

 ……言葉を失うほどのすごい映画。淀川さんはちょっと説明不足だって言っているけれど、これが現代の映画の語り口なのよね。説明的なシーンはもう誰も撮らない。まあそれはいいとして、私は『マルタの鷹』じゃなくて、ヤンが愛しているというキェシロフスキの影響をストーリーに強く感じました。ものすごく物語が面白い映画なんだけど、これ、でもぜんぜん娯楽映画じゃあない。これはね、愛の物語。きびしいきびしい愛の物語。
 若い青年たちが一挙に目覚めていく過程の見事さ。物語はそれを語りたかったのよね。最後に、愛を知った青年(彼の独白というか告白のせりふもまたいいんだよねえ。I thougt of you. だって!)はもはや愛を知ることのない大人たちよりはるかに年老いている。その人生の描きわけの鋭さ(ちょっと図式的だって? まあそう言いなさんな)。そう、この監督はシャオシェンとは違って、人物に投げかけるまなざしがすごく批評的なのよね。それがアップをあまり使わない画面にもあらわれているし。批評的なのは時代や、台湾に対してもだけど。しかしまあ、これほど愛の問題を現代的に、しかもすんごくクリティックに鮮やかに語ったものって、ちょっと目にしたことがありません。
 金持ちのオヤジの息子が銃を撃つシーンでは、彼の嗚咽があまりにリアルに迫ってきて、涙どころのお話ではなくなってしまう。これを映画館で見る勇気はそんなわけでちょっと出てこない、一人でこっそりと大事に見たい映画です。ところで、ラストなんだけれども、私だったらクー・ユールンが振り向いたその瞬間のシーンで終わりにするねえ。でもそれは、ちょっとイラン映画っぽいかに? そうそう、オープニングもすごいよね、刺激的で。いやもう、何から何まで最高ですよ、これ、まるで現代の福音書のようだ。

エドワード・ヤンの恋愛時代 』1994

クーリンチェ少年殺人事件(1991/台湾)

恐怖分子(1989/台湾=香港)

易智言イー・ツーイェン

イー・ツーイェン『藍色夏恋 』藍色大門()台湾=フランス、2002。

蔡明亮ツァイ・ミンリャン ここで対談が読める。ここは?

ツァイ・ミンリャン『』(The Wayward Cloud()フランス=台湾=中国合作、2005

ツァイ・ミンリャン『さらば、龍門客棧(不散)』Good Bye, Dragon Inn()2003

プレノンで配給が決定しています。

ツァイ・ミンリャン『ふたつの時、ふたりの時間(2001/台湾=仏)

ツァイ・ミンリャン『Hole(1998/台湾=仏)

ツァイ・ミンリャン『河(1997/台湾)

ツァイ・ミンリャン『愛情萬歳(1994/台湾)

ツァイ・ミンリャン『青春神話(1992/台湾)

リー・カンション

虞戡平

何平(ハー・ピン)、双旗鎮刀客(90)、愛恋花火(93)、

参考文献

『映画で語る中国・台湾・香港』丸善ライブラリー、

リンク(普通の台湾関係のページも)

台湾映画の紹介をしているこのページは一見の価値ありかもね。

まるごと台湾は台湾紹介のページ。

中華民国・台湾台湾映画祭)ここは台湾の実質的な大使館(ビザもここでとってね)にあたる「台北駐日経済文化代表処」のHP。映画祭なんかも開催していて、交流意欲まんまんじゃあないの!

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