小津安二郎フィルモグラフィーと感想を少し
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  小津の映画は生誕100周年を記に、あっという間にすごいいきおいで日本の映画の歴史における傑作としてみんながその名を知ることとなった。しかし小津には二面あるような気がする。小津っていいよねえ、とみんなしてにこにこと笑いながら小津映画の楽しい場面のあれこれについて語れるという側面と、小津の映画をみながら不意に私たちを襲う衝撃にただ耐えなければいけないようなきびしさを持った小津という二つの側面。後者の側面は、それが小津によってしかなされていないようなたぐいの映画的な衝撃であるだけに私たちは小津の映画を見るとますます孤独になり、ますます映画というものの深淵さに触れ、小津のその孤高の才能に気づくにつれ、まるで何かしら知ってはいけなかった世界を覗いてしまったような気になる。小津の映画……それは過去の傑作などではなく、多くの現代の映画作家たちが到達していない未来の映画であり、未だ私たちが知ることのないものでもあり、見る度ごとに私たちにショックを与えるような映画だ。もちろん、映画史に残るような傑作の映画というのはそういった異常な作品が多いのだけれども、小津みたいに完成された傑作を一貫して作り続けた映画監督はあまりいないと思う。それどころか、小津の映画は互いに反響し合っており、まるで万華鏡のような世界を形作っている。つまり、それは無限の作品群なのだ。ゆえに、私たちは小津の映画を見終わることは決してない。一見単調であるかのように見えて、まったく異様な小津の映画は私たちに永遠にやってきつづけるのだ。

×はフィルムが残ってないもの。はネガやプリントの一部だけあるもの。

1927.10.14 ×懺悔の刃 松竹蒲田

1928.04.29 ×若人の夢 松竹蒲田

1928.06.15 ×女房紛失 松竹蒲田

1928.08.31 ×カボチャ 松竹蒲田

1928.09.28 ×引越し夫婦 松竹蒲田

1928.12.01 ×肉体美 松竹蒲田

1929.02.22 ×宝の山 松竹蒲田

1929.04.13『学生ロマンス 若き日 出演:結城一郎 飯田蝶子 笠智衆(1929年)モノクロ103分/サイレント 松竹蒲田

1929.07.05 『和製喧嘩友達 松竹蒲田

1929.09.06 『大学は出たけれど  出演:高田稔 田中絹代(1929年)モノクロ35分/サイレント 松竹蒲田

1929.10.25 ×会社員生活 松竹蒲田

1929.11.24 『突貫小僧 松竹蒲田。91年にプリントが発見された。

1930.01.05 ×結婚学入門 松竹蒲田

1930.03.01 『朗かに歩め 出演:高田稔 川崎弘子 伊達里子(1930年)モノクロ96分/サイレント 松竹蒲田

1930.04.11 『落第はしたけれど 出演:斎藤達雄 大国一郎 田中絹代(1930年)モノクロ64分/サイレント 松竹蒲田

1930.07.06 『その夜の妻 出演:岡田時彦 八雲恵美子 笠智衆(1930年)モノクロ65分/サイレント 松竹蒲田

1930.07.27 ×エロ神の怨霊 松竹蒲田

1930.10.03 ×足に触った幸運 松竹蒲田

1930.12.12 ×お嬢さん 松竹蒲田

1931.02.07 『淑女と髭 出演:岡田時彦 川崎弘子 伊達里子(1931年)モノクロ74分/サイレント 松竹蒲田

1931.05.29 ×美人と哀愁 松竹蒲田

1931.08.15 『東京の合唱 出演:岡田時彦 高峰秀子 斎藤達雄(1931年)モノクロ90分/サイレント 松竹蒲田

1932.01.29 ×春は御婦人から 松竹蒲田

1932.06.03 『大人の見る絵本 生れてはみたけれど 』出演:斎藤達雄 吉川満子 突貫小僧(1932年)モノクロ91分/サイレント 松竹蒲田。

コミカルなのに涙が出る。 笑いと涙が怒濤のように入れ替わるこんな映画は、小津ぐらいしか撮っていないのではないだろーか。初期を代表する傑作。

1932.10.13 『青春の夢いまいづこ 出演:江川宇礼雄 田中絹代 伊達里子(1932年)モノクロ85分/サイレント 松竹蒲田

1932.11.24 ×また逢ふ日まで 松竹蒲田

1933.02.09 『東京の女 出演:岡田嘉子 江川宇礼雄 田中絹代(1933年)モノクロ47分/サイレント 松竹蒲田

 岡田嘉子は実は共産党員らしいんですが……、それはともかく、小津の独特のショットが作られつつあることがうかがえる作品として興味深い。当時は自殺が若者の間でブームだったらしいです。

1933.04.27 『非常線の女 出演:田中絹代 岡譲二 水久保澄子(1933年)モノクロ100分/サイレント 松竹蒲田

田中絹代がすごい似合わない役で出てて、なんとも仰天なストーリーが繰り広げられる変な映画。銃を持った田中絹代が見られるのは珍しいと思います。しかし若くてかわいいねー、彼女。

1933.09.07 『出来ごころ』出演:坂本武 大日方伝 飯田蝶子(1933年)モノクロ100分/サイレント 松竹蒲田。

すごく可愛らしい小品。長屋に住んでいる青年が主人公なんて貧乏くささ、小津では珍しいのではないでしょうか。澤登翠さんの弁士つきでこの映画を野外で見たことのあるのがちょっと自慢です。

1934.05.11 △『母は恋はずや  出演:吉川満子 大日方伝 笠智衆(1934年)モノクロ72分/サイレント 松竹蒲田

1934.11.23 『浮草物語 出演:坂本武 飯田蝶子 西村青児(1934年)モノクロ86分/サイレント 松竹蒲田

1935.01.20 ×箱入娘 松竹蒲田

1935.11.21 『東京の宿』出演:坂本武 突貫小僧 岡田嘉子(1935年)モノクロ80分/Hi-Fiモノラル 松竹蒲田

1935. .  『菊五郎の鏡獅子 松竹蒲田

1936.03.19 ×大学よいとこ 松竹蒲田

1936.09.15 『一人息子 出演:飯田蝶子 日守新一 坪内美子(1936年)モノクロ83分/Hi-Fiモノラル 松竹大船

1937.03.03 『淑女は何を忘れたか』出演=栗島すみ子 / 斎藤達雄 / 桑野通子 / 佐野周二 / 坂本武 / 飯田蝶子 / 上原謙 / 吉川満子 / 葉山正雄 / 突貫小僧 / 鈴木歌子(1937年)モノクロ71分/Hi-Fiモノラル 松竹大船

 すんごい面白い上流社会コメディ。変な大学教授のところに姪が尋ねてきて大騒動。斎藤達雄のなんともいえんボケぶりと、桑野通子の陽気さが記憶に残る。傑作です。 ルビッチの『陽気な巴里っ子』

1941.03.01 『戸田家の兄妹 出演: 佐分利信 / 高峰三枝子 / 藤野秀夫 / 葛城文子 / 吉川満子 / 斎藤達雄 / 三宅邦子、桑野通子(1941年)モノクロ105分/Hi-Fiモノラル 松竹大船

 戦時中にそれでもかわる家族関係をテーマに、すんごい豊かな親兄弟たちを撮った豪華な映画。ちょっと『東京物語』の原型のようでもあるが、こちらで親はよりあからさまに邪魔者扱いされている。最後の佐分利信の演説では小津映画には珍しい種類のカタルシスを感じてしまう。

1942.04.01 『父ありき 出演:笠智衆 佐野周二 佐分利信(1942年)モノクロ94分/Hi-Fiモノラル 松竹大船 。ロシアで音声状態の良いプリントが発見されたらしい。

1947.05.20 『長屋紳士録』出演:飯田蝶子 青木放屁 河村黎吉(1947年)モノクロ72分/Hi-Fiモノラル 松竹大船

1948.09.17 『風の中の牝鶏 出演:佐野周二 田中絹代 村田知英子 (1948年)モノクロ72分/Hi-Fiモノラル 松竹大船

階段から落ちる田中絹代が見られるのはきっとこの映画だけだと思う。それだけでも価値あり?

1949.09.13 『晩春』出演:笠智衆 原節子 杉村春子(1949年)モノクロ108分/Hi-Fiモノラル 松竹大船。

娘と父親。紀子三部作の一作目。途中でうつる壺について論じてある論文を集めると一冊の本にはなると思う。

1950.08.25 『宗方姉妹』新東宝

1951.10.03 『麦秋』監督・脚本=小津安二郎 脚色=野田高悟 撮影=厚田雄春 音薬=伊藤宣ニ 美術=浜田辰雄
出演=原節子(間宮紀子)、笠智衆(間宮康一)、淡島千景(田村アヤ)、二本柳寛(矢部謙吉)、杉村春子(矢部たみ)、三宅邦子(間宮史子)、菅井一郎(間宮周吉)、東山千栄子(間宮しげ)、佐野周二(佐竹)、井川邦子(安田高子)、志賀真津子(高梨マリ)、モノクロ124分/Hi-Fiモノラル 松竹大船 。

紀子三部作の二作目。ショート・ケーキが有名なこの映画は、その場面にも表れているように、女達の軽やかな身体を描き出すことに賭けられていると言ってよい。 老夫婦たち、男友達たち、子供たち、そして女達はそれぞれ親密な関係を持っていて、それぞれユニークなやり方でその関係を保っている。とくに女達はそのなかでさらに二つのグループに分かれるが、両者を結びつけている仕草は、意味深にうなずき合う愉快なあれだ。そして女達はそのいくつものグループと積極的に交流することができる という点で特権的な存在なの.だが、それを可能にしているのはまさに彼女たちの軽やかさなのだ。その中心に位置するのが言うまでもなく原節子であり、彼女ぬきにはこの映画はありえない。それほどここでの彼女は画面を走り回っている。彼女が席を立つシーンなどの軽やかぶりにどうか注目してほしい。彼女の最後の決断は、一見安直に見えるが、じつはその体の軽やかさとつながったものである。彼女にとっては、そうした決断の下し方が実に自然なものなのであって、周囲の人間たちのように深刻にじくじくと悩みながら結婚をする、というのはいかにもふさわしくないのだ。彼女はケーキを切るときでさえも、まるで飛び上がらんばかりの軽やかさで切っているではないか。そして、それが最後に、淡島千景と部屋の中で少し追いかけっこするシーンで見事に集約されて見せられる。あのシーンがこの映画で最も魅力的なのはそのためなのだが、まあ蓮實さん風にこのことを言うなら、「私たちはここでもやはり、女達の体の軽やかさをスクリーンに写そうとする小津の演出の一貫性に驚かされる」のである。

1952.10.01 『お茶漬の味』 監督=小津安二郎、脚本=野田高梧・小津安二郎、撮影=厚田雄春、美術=浜田辰雄、音楽=斎藤一郎 出演=佐分利信(佐竹茂吉)、小暮実千代(佐竹妙子)、鶴田浩二(岡田登)、笠智衆(平山定郎)、淡島千景(雨宮アヤ) 、津島恵子(山内節子)、 小園蓉子(女中ふみ) モノクロ115分/Hi-Fiモノラル 松竹大船 。

「インティメイトでプリミティブな、気安い感じ」。結婚する前に見るべし。ストーリー的には感動できるのだが、見直してみると佐分利信と小暮実千代の熟年カップルのやりとりがどうにも重々しく、最後の展開があまりにつかわしくない。これはもともともっと若い夫婦間の話だったらしいのだけれど、そうならなかったのがつくづく残念。きっと小暮実千代がよくないんだな。

1953.11.03 『東京物語』(製作 山本武、脚本 小津安二郎・ 野田高梧、撮影 厚田雄春、美術 浜田辰雄、音楽 斎藤高順、衣装 斎藤耐三、出演 笠智衆 / 東山千栄子 / 原節子 / 杉村春子 / 山村聰 / 三宅邦子 / 香川京子 / 東野英治郎 / 中村伸郎 / 大坂志郎 / 十朱久雄)モノクロ、135分/Hi-Fiモノラル 松竹大船、1953。

 紀子三部作の三作目。戦後は一貫して「家族形態の変化」ということをテーマに撮ってきた小津が、そのテーマをいわば明確な形で提示している。社会の変化を底流に、人生の悲哀を小津独特のタッチで見事に描ききったこの作品は小津の代表作とされる。もちろん、これが戦後の小津を代表する傑作であることは疑いない。
 しかしテーマも素晴らしいこの映画だけれど、隅々までいきわたったその美意識にもどうか注目してもらいたい。老夫婦が東京は広いわねえとか言いながら歩くシーンでは画面下半分が黒くなっていてそこを白い服を着た子供たちが右から左へかけぬけていき、夫婦の上半身が白い下地に黒く後ろから映し出される。ほかにもこの夫婦が波止場に座っているショットなどの見事さはどうだろう。はとバスのシーンではバスの揺れにあわせてみんなが右へ左へと体を揺らしている。杉村春子と中村伸郎がそれぞれ団扇をあおいでいるシーンの団扇の揺れ方のリズムなどとても面白い。登場人物のほとんどが団扇を使っているのだが、その揺らし方にそれぞれの心象まで写すように使われている。小津の画面には動きがないように思われがちだが、じつは細かく計算された微少な動きに満ちていると言えるだろう。
 物語上もっとも不透明な存在は原節子で、彼女がかかえている葛藤はこのストーリー上には不釣り合いなほど大きなもののように思われる。彼女が義父の言葉に激しく「とんでもない」と顔を背けながら言うシーンがその複雑な心境を表しているのだろうが、観客には彼女の抱えているものを知ることはない。妻を亡くした笠智衆が終始穏やかな表情をみせつづけるに対し、八年前に夫を亡くしている原節子の慟哭があまりに対照的だが、直前に義妹とのやりとりで人生は「ほんとに辛いことばかり」というセリフをさわやかな笑顔で発している彼女の涙だけに、それは見る者を深くとまどわせずにはいない。
 家族や人生にまつわる哀しみをとことん描いている戦後の小津だが、この映画ほど誰にでも共感できるテーマで、なおかつとことん重く描いている作品は小津の中ではほかにないかもしれない。それだけに、見ていると胃が痛くなるほど過酷な映画にも思える。しかしそれをいくらか救っているのが東山千栄子と原節子の演技だ。彼女たちが作っている間は映画が作り出している情動を見事に受け止めている。小津はこうした感情の受け止めるようなショットが見事だ。たとえば。 東山千栄子が「私たちは幸せな方ですよ」といった瞬間に手を頭にあげるその美しい瞬間。義母が危篤だという電話を受け取った後の机に座った原節子の表情のアップ。このアップが映画のなかで一番長いアップになっていて、彼女の義母に対する想いをここで集約して見せている。
 この映画が『東京暮色』と並ぶほど暗く重い映画であるのは間違いないだろう。『東京暮色』はショッキングな「事件」が映画の暗さのもとになっているが、ここでは現代に生きる多くの人が味わう哀しみが描かれているだけに余計に辛く思われる。しかし小津は当時にあって、なぜこれほど時代をよく見据えた物語を作ることができたのだろうか。なぜ都会生まれでありながら、都会で進行している人心の変化に気づいていられることができたのだろうか。間違いなく当時の最先端であっただろう小津のこうした問題意識がどうやって形成されたのかが不思議だが、小津の深い人間理解は時間を超えて私たちを感動させてやまないだろう。

1956.01.29 『早春』出演:池部良 淡島千景 岸惠子(1956年)モノクロ144分/Hi-Fiモノラル 松竹大船。

1957.04.30 『東京暮色』監督=小津安二郎、脚本=野田高梧、小津安二郎、撮影=厚田雄春、美術=浜田辰雄、音楽=斎藤高順 、出演=( 沼田孝子)原節子、(杉山明子)有馬稲子、杉山周吉=笠智衆、相馬喜久子=山田五十鈴、川口登=高橋貞二
モノクロ140分/Hi-Fiモノラル 松竹大船

有馬稲子の怒りはどこに向かっているのだろうか。 一度見るとその演出の異様さと相まって、二度と忘れることができないたぐいの強烈な映画。小津の中でもとくに異色作なだけによけいにそうだ。小津はこういうのを一度は撮りたかったらしく、その彼の心意気に私たちは心うたれる。

1958.09.07 『彼岸花』 監督=小津安二郎、脚本=野田高梧、小津安二郎、撮影=厚田雄春、美術=浜田辰雄、音楽=斎藤高順
平山渉=佐分利信、清子=田中絹代、平山節子=有馬稲子、佐々木幸子=山本富士子、三上文子=久我美子、谷口正彦=佐田啓二、近藤庄太郎=高橋貞二、平山久子=桑野みゆき、三上周吉=笠智衆、佐々木初=浪花千栄子、長沼一郎=渡辺文雄、河合利彦=中村伸郎、堀江平之助=北竜二、「若松」の女将=高橋とよ 、カラー118分/Hi-Fiモノラル 松竹大船 。

小津のカラー第一作。大映から山本富士子を借りてきている。佐分利信の貫禄がおちょくされる。子供が全部男のこかどうか。

1959.05.12 『お早よう』出演:佐田啓二 久我美子 笠智衆(1959年)カラー94分/Hi-Fiモノラル 松竹大船。

小津初期の面影が強い後期映画。カラーテレビ。 晩年にもう一度こういう子供が主役のコメディを作ってくれたことがすごく嬉しい。好きな人はこれが小津の一番だったりする。文句なしの傑作。

1959.11.17 『浮草』大映東京

1960.11.13 『秋日和』出演:原節子、司葉子、佐田啓二、岡田茉莉子(1960年)カラー128分/Hi-Fiモノラル  松竹大船 。晩春の「母と娘」バージョンを『彼岸花』のノリで撮ったもの。亭主が長生きするかどうか

 小津の映画は見るたびに新しい発見があるのだけれども、特にこの映画は、『彼岸花』との表面的な類似に注目したり、あるいは『晩春』の変奏として見ることができ、ある意味、ほかの小津の作品と最も豊かな形で接続されていると言える。それだけでなく、数少ない小津のカラー映画としてその色彩を存分に楽しむこともできる。何より、画面がカラーになったことによって、小津の映画により深いリズムが生まれていて、まさに小津の真骨頂の軽やかなリズムと、空ショットの的確な挿入によって、映画が驚くほど生き生きしていて、人物が出ていないシーンでさえ驚くべきリズムに満ちている。とくに岡田茉莉子が寿司を手づかみでポンポンと食べお酒を飲むシーンでその心地よさが異常なまでに高まっているのは、もちろん彼女の生き生きとした素晴らしい演技にもよるところも大きいのだけれど、細かなカットの作り出す不思議なリズムのたまものだと言える。 小津はよく紀子三部作が最高傑作だと言われるけれど、カラー以降の作品群において色彩を手に入れた小津は、それまで彼が進めていた純粋に視覚的かつ音響的なショットを完成させた。個々のモンタージュはより動的な色彩を帯び、映画はもはや音楽のようになっている。ここで彼が到達したものは、映画史にとっても大きなものだと思う。そんな小津を代表する映画として私はこの作品を強く推したい。

1961.10.29 『小早川家の秋』(製作=藤本真澄 金子正且 寺本忠弘、監督=小津安二郎、助監督=竹前重吉、 脚本=野田高梧 小津安二郎、撮影=中井朝一、音楽=黛敏郎、美術=下河原友雄、録音=中川浩一、整音=下永尚、照明=石井長四郎、編集=岩下広一、スチール=秦大三、現像所=東京現像所、製作担当者=安恵重喜、美術品考撰=岡村多聞堂、工芸品考撰=貴多川、衣裳考撰=浦賀染織研究所 、 出演:小早川万兵衛=中村鴈治郎、長男の嫁秋子=原節子、次女紀子=司葉子、長女文子=新珠三千代、その夫久夫=小林桂樹、息子正夫=島津雅彦、磯村英一郎=森繁久彌、佐々木つね=浪花千栄子、娘百合子=団令子、加藤しげ=杉村春子、北川弥之助=加東大介、妻照子=東郷晴子、中西多佳子=白川由美、寺本忠=宝田明、店員山口信吉=山茶花究、店員丸山六太郎=藤木悠、農夫=笠智衆、その妻=望月優子、ホステス=環三千世、万兵衛の弟=遠藤辰雄、医者=内田朝雄 )、 宝塚(東宝)、カラー。

1962.11.18 『秋刀魚の味』(製作:山内静夫、監督助手:田代幸三、脚本:野田高梧 小津安二郎、撮影:厚田雄春、撮影助手:老川元薫、色彩技術:渡辺且、音楽:斎藤高順、美術:浜田辰雄、美術助手:荻原重夫、装置:高橋利男、装飾:石井勇、録音:妹尾芳三郎、録音技術:石井一郎、録音助手:堀義臣、照明:石渡健蔵、照明助手:本橋昭一、編集:浜村義康、現像所:東京現像所、進行:金勝實、字幕意匠装飾:橋本明治、美術工芸品、考撰:岡村多聞堂 貴多川、衣裳考撰:浦賀染織研究所、配役:岩下志麻(平山路子)、笠智衆(父周平)、佐田啓二(兄幸一)、岡田茉莉子(その妻秋子)、三上真一郎(弟和夫)、吉田輝雄(三浦豊)、牧紀子(田口房子)、中村伸郎(河合秀三)、三宅邦子(妻のぶ子)、東野英治郎(佐久間清太郎)、杉村春子(娘伴子)、加東大介(坂本芳太郎)、北竜二(堀江晋)、環三千世(後妻タマ子)、岸田今日子(トリスバーのマダム)、高橋とよ(「若松」の女将)、浅茅しのぶ(秘書佐々木洋子)、須賀不二男(酔客A)、織田政雄(同窓生渡辺)、菅原通済(同窓生菅井)、緒方安雄(同窓生緒方))アグファ松竹カラー 、Hi-Fiモノラル、112分、松竹大船 。

  軍艦マーチ・鱧・葬式のようなもの……。 若い夫婦のささいな諍い、若い後妻をもらった同級生(大学の先生か何かか……)との会話などなど日常を丹念に織り込みつつ、娘を嫁に出す決断がなかなかできない元艦長の初老の男と、娘を嫁に出さなかったことを後悔している元中学生教師を合わせ鏡のようにして、人生の悲哀を見事に描いている。小津にしてはけっこう残酷なタッチで、しかし淡々と美しい娘をもった男の逡巡と恐れと空しさとを浮き彫りにする。こんなありきたりなテーマを、主人公にはその感情をほとんど語らせないままに、見事なまでにその心のうちを伝えきった映画というのはほかに例がないのではないだろーか。例のごとく、色彩豊かな空ショットも面白い。

 この提灯「あかね」はじつは『東京物語』で一度登場しているのだが、それは外から画面いっぱいにとられたものだった。この作品では室内から撮られることによってその巨大さをいかんなく発揮している。小津は同じモチーフを何度も繰り返し映画の中に使っており、下の布団のショットなんかもそうだ。しかし以前の白黒の作品では白と黒だったものが、今作ではカラーになったことによって画面に音楽性が生まれている。

 『秋日和』では登場人物の中で一番いきいきしていた岡田茉莉子だが、結婚しているという設定なのか、岡田監督とできちゃっていたからなのか(余計な勘ぐり)今作では佐田啓二のちょっと意地悪な奥さんを演じている。佐田啓二とのやりとりはほんとにほほえましい。この映画はなんだかスター総出演といった感じで、後に有名になっている人たちなんかが脇役でたっぷり出ていて、それを見るだけでも十分に楽しめる。特に、水戸黄門様(1969〜1983)の東野英治郎がいい味を出している。岸田今日子はどうかな……。

 しかしやはり一番の見所は……岡田茉莉子のエプロンの乱れた結び目がいつの間にか直されていたり、見事なまでに対照的な中村伸郎の家の松ではなくて……岩下志麻が好きだった相手の結婚がもうほぼ決まったということを彼女に伝えた男たちが、なんだ、あんまり落ち込んでいないみたいでよかったなとかほっとしたあとで、彼女がこっそり泣いていたことを聞かされてちょっと騒然となり、なぐさめるために笠智衆が二階にあがった時に、岩下志麻が振り返るシーンのそのなまめかしさでしょう。ここで笠の言うセリフが「残念だったね」とかそういう最低なものではなく、下に降りてお茶でもやりなよ、というのが娘をほんとに気遣う父親の繊細さが出ていてリアルだ。

 あれほど気乗りしていなかった娘の結婚話は、友人宅への訪問を契機にあっさり決定し、そこで話されていたのは見合い話だったというのに、次の場面ではもう結婚のシーンになっている。この友人宅への訪問は結婚をはさんで二度繰り返されるのだが、それだけにこの訪問が決定的な意味を持っていたことが 強調されている。とくにはじめの訪問では、頼みにしていた見合い話がもう手遅れになっていたということが友人たちから告げられるのだが、それはタチの悪い冗談だったことが後から告げられ、さきの場面で岩下志麻の哀しい表情を目にしたわたしたちは本当にそれが冗談だったことにほっとするのだけれど、その冗談が中村伸郎を死んだことにした冗談の仕返しだと聞かされると、友人の死と娘が嫁に行き遅れることとが同等の悲惨さとしてこの映画で語られていることによって、このテーマにこめられている重みにようやく気づ いた私たちは、この冗談に込められているすさまじい真実に顔色を失う。

 結婚式そのものは例によって映されないのだけれど、岩下志麻が家で式服を着ているのは見ることができる。笠智衆がその美しさに言葉にならずにただ「う〜ん」とつぶやくのはほんとに見事だけれども、ここでは彼女が振り向くシーン と、まえに青色を背景に振り向いていた表情と見比べてほしい。何も言わなくても二つのシーンの対比により、彼女がまさに幸せであることが語られている。徹底的にセリフを廃した演出が見事だ。最後のシーンで、笠智衆が娘のいなくなった二階を見上げて涙ぐむのを見て、そこまでやらせるかと思わせるまでの残酷さが胸につきささるなんとも言えない映画だ。