1930年〜1947年の映画

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1947年 アメリカで赤狩りはじまり、ハリウッドの没落がはじまる

リード『邪魔者は殺せ!』1947

オーソン・ウェルズ『上海から来た女』The Lady from Shanghai(製作・脚本=オーソン・ウェルズ、 原作=シャーウッド・キング "If I die before I wake"、撮影=チャールズ・ロートンJr.、音楽=ハインツ・ロームヘルド、衣装=ジャン・ルイ、編集=ハリー・コーン、出演=リタ・ヘイワース、オーソン・ウェルズ、エヴェレット・スローン、テッド・デ・コルシア、グレン・アンダース)アメリカ映画、コロンビア、87分、 、スタンダード、1947

 オーソン・ウェルズ(1915-1985)は完成させた12の監督作品の内のほとんどを自分で編集できなかったが、これもその例にもれない不幸な作品。もとは155分もあったらしいのに、半分まで縮められていうえに編集も他人(ハリー・コーン)によってなされ、音楽も別につけられているんじゃあ、私たちが見ているのは残骸なのかもしれん。でもま、オーソン・ウェルズが奥さんだったリタ・ヘイワースを撮っているのはこれだけなんで、二人の競演だけでも歴史的価値があるというもの。オーソン・ウェルズの作品だというのに、編集と音楽のせいか、普通の劇映画のように進んでいくが、後半になると複雑な筋になって全然ついていけなくなる。誰が誰で誰が誰をどうしようというのか……(弁護士であるバニスターに顧問弁護士のグリスビーがついているのがややこしいし、真犯人の殺しの動機がちょっと理解しにくい)。

 古典中の古典というだけあって、暴漢から女性を救ったり、馬車やヨットに乗ったり、逃げる女を追ってダンスしたり(『ラストタンゴ・イン・パリ』でもあったよねこういう展開)、法廷シーンは変だし水族館のシーンは異様だけども、乱闘のシーンさえあったり、もちろん最後のマジック・ミラーのシーンは超有名だし、映画的なシーンがこれでもかっというほど詰め込まれている。面白いのは、アカプルコの漁村やサンフランシスコのチャイナ・タウンがちょっと舞台になっていることで、上海からきたというリタが中国語をしゃべったり、京劇小屋に入ったりす るのがなかなか興味深い。 もちろんこれはフィルム・ノワールなんだけど、このジャンルにおける技法的な完成に至っている。

 男たちがいっぱい出てくるのだけど、彼らのかいている汗も雰囲気を出していてよい。オーソン・ウェルズは面白い顔をしているよね。で、最後に彼が去るシーンも素晴らしくって、死んでいく女をほったらかして去るというのがどんぴしゃな感じ。リタ・ヘイワースも冷たく、得体の知れない感じがよく出ている。 っところで、『長い灰色の線』なんかも撮っているキャメラのチャールズ・ロートンJr.は『狩人の夜』のチャールズ・ロートンの息子なんでしょうかね。

潜在的なイマージュが増殖するとき、その総体は人物の全現実性を吸収し、同時に人物はほかの複数の潜在性のうちの一つにすぎなくなる。……完全なクリスタルイマージュ、そこで複数の鏡が二人の現実性を捉えているのだが、それを取り戻すためには、すべての鏡を破壊するしかなく、並んだお互いを見つけお互いに殺し合う。("Cinema 2", p. 95)

 DVDには、『オーソン・ウェルズ その半生を語る』という本を出してもいるピーター・ボグダノヴィッチ監督による思い出話のようなものが録音されている。これを聞くと、ウェルズがこの作品に勝手につけられた音楽に強固に反対していたことを知ることができる。確かに、途中のメロドラマみたいな音楽は緊張感と不気味さがある本来の画面をぶち壊しにしているし、鏡のシーンに音楽が入るのも変な感じだ。 ほかには、ウェルズの言葉に「長廻しのフルショットがつねにboyとmanを分ける」というのがあって、なるほどと思った。ずたずたの映画だけれど、影や鏡に映った姿を正面に写したりしているのが当時では斬新だったと思う。

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1946 カンヌ映画祭設立

ジョン・フォード『荒野の決闘』My Darling Clementine(製作 サミュエル・G・エンゲル、脚本 サミュエル・G・エンゲル、ウィンストン・ミラー、原作=サム・ヘルマン、スチュアート・N・レイク、撮影=ジョゼフ・マクドナルド、美術=ジェームズ・ベイスヴィ、ライル・ウィーラー、音楽=アルフレッド・ニューマン、衣装=ルネ・ユベール、編集=ドロシー・スペンサー、出演=ヘンリー・フォンダ、リンダ・ダーネル、ビクター・マチュア、 ウォルター・ブレナン、ティム・ホルト、ウォード・ボンド、ジョン・アイアランド、ジェーン・ダーウェル、ラッセル・シンプソン、アラン・モーブレイ、J・ファレル・マクドナルド 、キャシー・ダウンズ)アメリカ、スタンダード、1946

 90年代になってからも『トゥームストーン』とか映画化が繰り返されるワイアット・アープもの。ガッツ石松のネタで有名な「OK牧場」の決闘があるのはこれ。ジョン・スタージェスの『OK牧場の決斗』というのもある。でも厳密に言うと、「OK牧場」と訳されている「OK corral」の「corral」は家畜の囲い場のことで、牧場ではない。馬車の馬を代える場所なんだろうね。ま、ラストの決闘のシーンを見れば牧場でないこと(放牧されてないし)は想像がつくんだけどね。

 さて、この有名な映画、液晶ディスプレイではじめ見たけど、フォードのほかの映画と比べてそんなに面白いと思わなかった。でも、大きなスクリーンで二度目に見ると、これがなかなか面白い。リンダ・ダーネルはいきなり牛乳を男にぶっかけるし、ヘンリー・フォンダは椅子と自分の体の体重を釣り合わせて楽しんでいるし、なんとあの悪役はよく見るとウォルター・ブレナンではないか。

 CinemaScapeに載っていたジェリーさんの評をぜひ読んでほしい。この映画が大好きと言うだけあって、批評家並みの細かな評をしています。とくに見事なのは、監督が人物に応じて空間の使い方を変えることによって、役割の対比を生み出しているという点や、雲の使い方の分析なんかはまさにそのとおりだと思います。クレメンタインがあんまり有名じゃない女優なのがいいというのにも賛成です。そうそう、これはアクション映画ではなくて、むしろ『わが谷……』のような文芸映画の系譜に連なるものなんだよね。だからアープやホリディの人物描写に多くの時間を割いている。初め見たときはストーリーの順序がバラバラだと思ったんだけども。

 ただね、それでもやっぱりこれはほかのフォード映画と比べるとちょっと落ちると思うんだよね。蓮實さんの言によれば、フォードはここまでがザナック主導の映画で、純粋フォードの好き勝手映画ではないらしい。確かに、後年のフォードの自由奔放さはあんまり見られないんだよね。ドクがお酒のふたを一本の指で勢いよく開けるシーンや、リンダ・ダーネルが撃たれたあとに部屋にこれでもかっていうほどわんさか人が集まってくるシーンや、ドクがいかにもあっさり死んでしかも「ドクか」みたいなセリフしかかけられないところなどで、わずかにフォードの無茶苦茶なところが顔を覗かせているとはいうものの、まあだいたいおとなしい映画のような気がする。それに、ウォルター・ブレナンが悪役っていうのは完全にミスキャストで、彼が味方側で活躍していないってのはほんとに残念だと思う。

 ま、不満はあるものの、雲の使い方や、シェイクスピアの朗読なんかはほんとうに印象に残るし、何より最高のシーンはダンスを前にしてキャシー・ダウンズがフォンダを見上げて顔の表情を微妙に変えるところで、あれはほんとにキュートなのです。まあ、みなさん西部劇だからといって、乱暴で男臭いやつばっかりだと思ったら大間違いですよ、というそのいい例なのかもしれません。

キング・ヴィダー『ギルダ』1946

黒澤明『わが青春に悔いなし』1946

ジャン・ルノワール『小間使いの日記』The Diary of a Chambermaid、1946

セルゲイ・エイゼンシュタイン『イワン雷帝(第一部・第二部)』1946/露

コクトー『美女と野獣』1946

ルネ・クレール『奥様は魔女』 (1944/米)

ジャン・グレミヨンGrémillon『この空は君のもの』Le Ciel est à Vous(製作 ラウル・プロカン、脚本 アルベール・ヴァランタン / シャルル・スパーク、撮影 ロジェ・アリニョン / ルイ・パージュ、美術 マックス・ドゥイ、音楽 ローラン・マニュエル、出演 マドレーヌ・ルノー / シャルル・ヴァネル / レオンス・コルヌ / ジャン・ドビュクール / アルベール・レミ)1944(105分)

 フランス映画なのに見事なエンターテイメント性をもったドラマ作品になっていて、大成功したというのもよくわかる。しかしこれはほんとに見事な映画。女性飛行士と、それを支える夫という話で、画面は白黒のきれいなもので、とくに心理ドラマが見事。妻が飛び立ってからずいぶんたって、もう生きていないだろうと諦めて家に帰った後、いろんな人がやってきては夫を批判して、最後には町中の人が男を非難するためにつめかけたかと思わせる演出の見事さ、うーむ。
 まあ女性がやりたいことをするということと、それを応援する夫という珍しい夫婦の映画で、女性が自分の生きたいように生きるということが、回りから夫まで対象となって批判されるというのがこの時代っぽい。で、面白いのは親たちは自分の好きなようにやるかわりに、娘からはピアノを奪って平然としているところ。こういうふうに、負の面も描いちゃうのがフランス映画らしいところですねえ。で、一歩間違えれば町中のさらし者だった夫が、妻の成功によって一躍有名人になるっていうのも、ほんとにこの夫婦を賛美しているのかそれとも皮肉っているのかわかんなくて、なかなかに面白い。
 アヴィエイターものって絶対男性が飛行機に乗る役なのに、これでは、はじめは夫が趣味で飛行機に乗っているのを心配していた妻が、一回乗っただけで豹変するっていうお話し。さすがに飛行機から地面を見たりする映像はないけれど、彼女の演技からその爽快感が十分に伝わってきて説得力がある。夫婦の演技はほんとに見事です。でも、もっと印象に残ったのは、ピアノをやめさせられた娘を思いやるピアノの先生なんだけどね。この時代に、こんなに不倫もの以外の普通の映画が、フランス映画でもあったのかあと、意外な思いがしました。

ヒッチコック『疑惑の影』1943

黒澤明『姿三四郎』1943

稲垣浩『無法松の一生』(製作 中泉雅光、脚本 伊丹万作、原作 岩下俊作、撮影 宮川一夫、音楽 西梧郎、出演 阪東妻三郎 / 月形龍之介 / 園井恵子 / 永田靖 / 沢村アキヲ / 川村禾門 / 杉狂児 / 山口勇 / 葛木香一)1943

 戦前の名作として超有名なこの映画。でも軍部とGHQに検閲されて、私たちが見ることができるのはカットされた版だというのがなんとも哀しい。まあ、この映画に関しては監督がのちにリメイクしているんだけど、それはまだ見ていない。カメラ は宮川一夫。BS2の阪東妻三郎特集で見たので、いつも走り回っていた彼がこんな役もできるんだーという感想と、彼が子供におにぎりをあげるシーンをむかし映画の講義で見たことがあったのを思い出したりしました。そう、ほんとにおにぎりのシーンは素晴らしいんですよ。なんにしても、戦時中にこれほどの作品が作られていたという事実に私たちは驚くばかりです。

エルンスト・ルビッチ『生きるべきか死ぬべきか』(1942/米)

ヴィスコンティ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』1942

マイケル・カーティス『カサブランカ』USA、1942

 ある作品について、マスメディアとか、一般の評価と、いわゆる映画評論家の評価がかけはなれていることはけっこうあるけれど、この映画ほど両者の評価のへだたりがある映画というのはほかにないと思う。その知名度も加算すれば、これこそ最も有名な「 恥作」と呼ぶのにふさわしいでしょう。
 まあ、こういう論点で映画を取りあげるってことはこのサイトでは滅多にしないんだけど、まあお勉強と思って書いておきますね。この映画の何がいけないのか。ま、普通に映画観る人はその映画がいつどこで作られたのかとか気にしないのかもしれない。でもこの映画に関してはそれが重要なんだよね。これハリウッド映画なんだよね、舞台はモロッコだけど。モロッコは第二次対戦中はフランス領だったんですよ。んで、これオープニングとエンディングに流れるのがフランス国歌なんだよね。普通映画の最初に国歌なんか流れないでしょ? 冒頭からしてすでに変なんです。なんか地球儀が見えて世界の情勢まで暗示しているし。そう、これ、ナチズム批判のプロパガンダ映画なんですよ。最後のシーンでアメリカ人のリックとフランス人のリチャードが手をつなぐのは、一緒にナチと戦いましょうねっていう意味。これ、今の私たちにはピンとこないかもしれないけど、当時観ていた人には一目瞭然だったはず。
 まあストーリー自体はほんっと典型的なラブロマンスなのね。もう典型中の典型っていうほどの。でもこれを「くさい」じゃなくって「美しい」と思うのはさすがにちょっとアレかもしれないですよ。いや、そりゃバーグマンが美しいのは認めるってば。それは美しいですよ。それにあの"Here's looking at you, kid."の名訳「君の瞳に乾杯」ってやつ。あれもすごい訳だと思う。「時の過ぎゆくままに」はまあまあ。ほんと、この二点だけで日本で有名になったと言ってもいい映画だよ。ま、名作といやあ名作かもしんないけどさ。
 「プロパガンダ映画でもなんでもい映画はいい映画なんだ、ごたごたぬかすな」という方もいらっしゃると思いますし、それはそうかもしれません。んでも、「そんなこと言われたら、映画観るの楽しくなくなっちゃう」という方には、「いやいやそんな心配は無用です」とお答えしましょう。だって、これよりいい映画はいっぱいあるし、ある映画の よくない点に気づくことができるということは、ほかの素晴らしい映画のいい点に気づくことができるようになるということでもあるのだから。あなたの前にはこれよりもっといい映画が今や開けようとしているわけなんですよ。

プレストン・スタージェス『レディ・イヴ』1941/米

ヘンリー・ハサウェイ『砂丘の敵』Sundown()アメリカ、1941

ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海ジェスチャー』The Shanghai Gesture、1941

溝口健二『元禄忠臣蔵・前編』興亜映画、1941

ジャン・グレミヨン『曳き船 Remorques』(原作: ロジェ・ヴェルセル、脚本: ジャック・プレヴェール、ロジェ・ヴェルセル、アンドレ・カイヤット、台詞:ジャック・プレヴェール、撮影: アルマン・ティラール、ルイ・ネエ、音楽: ローラン・マニュエル、出演:ジャン・ギャバン, ミシェル・モルガン、マドレーヌ・ルノー、シャルル・ブラヴェット)1941(79分)

 なんだか海のシーンが異様に迫力のある不倫映画。それもそのはず、ドゥルーズが『シネマ第一巻』で戦前フランス派における水というテーマを扱う際、この映画も引用されているぐらいだから。
 「二つの対立するシステムがある。陸における男の知覚、感情、行動と、海における男の知覚と感情と行動。これはグレミヨンの『曳き船』において明確に交錯する。そこでは陸における船長が固定された中心、つまり妻や愛人のイメージ、海に面した町のイメージに連れ戻さる。それはまたエゴイスティックな主体化のさまざまな地点であり、そこでは海が彼に普遍的な多様性を伴った目的性、それら様々な部分の結びつき、人類をこえた正義を呈示する。そこでは二つのロープの固定された位置がつねに疑問に付され、二つの運動の間にある妥当性の他はいかなる妥当性ももはやもたない。」
 それにしても、冒頭のシーンの撮影の見事さ。これはどうやって撮ったんでしょうか。こんなすごい嵐のなかの海での撮影、最近の映画じゃあ見ないです。うーむ、最近の映画はCGやなんやらで迫力の点では昔の映画とは段違いかと思ったら大違い。こういう、自然を撮ったシーンなんかは昔の映画にはかないません。きっと技術がすごかったんでしょうね。ほんとにこれはすごい迫力なんですよ。撮影はいろんな人の映画撮っている人ですね。台詞はジャック・プレヴェール。この時代のフランス映画のレベルの高さには驚かされます。

アルフレッド・ヒッチコック『海外特派員』1940

ハワード・ホークス『ヒズ・ガール・フライデー』His Girl Friday()1940

ジョン・フォード『果てなき船路』1940

カルネ『日は昇る』1939

マキノ雅弘『鴛鴦歌合戦』日本、1939

フォード『駅馬車』1939

溝口健二『残菊物語』1939

内田吐夢『土』日活、1939

熊谷久虎『阿部一族』日活、1938

アルフレッド・ヒッチコック『バルカン超特急』The Lady Vanishes(製作 エドワード・ブラック、脚本 シドニー・ギリアット / フランク・ローンダー、原作 エセル・リナ・ホワイト、撮影 ジャック・E・コックス、音楽 ルイス・レヴィ、出演 マーガレット・ロックウッド / マイケル・レッドグレイヴ / ポール・ルーカス / デイム・メイ・ホイッティ / ノーントン・ウェイン / ベイジル・ラドフォード)英、1938

 イギリス時代のヒッチコックの佳作。特急列車の中でおばあさんが消えてしまい、みんな見ていないって嘘をつくのが本筋なんだけど、その前日、彼女がホテルに止まるところから物語が始まるのが面白い。ここですでに主人公のマーガレット・ロックウッドとマイケル・レッドグレイヴが出会うのだけれど、これがまた面白い。淑女が寝ている寝室にマイケル・レッドグレイヴがずかずかと入り込んでくるんだけれど、こういうふうに女性の寝室に男が入り込んでくるってのがヒッチコックの特長のひとつ。そして、それでも追い出されないというのがヒッチコック的な美男の特徴である。ここでは追い出されるのではなくて、男のもくろみ通りになるんだけれど。
 まあ、ドタバタあり、イギリス紳士の変な会話ありのアメリカ時代のヒッチコックとはちょっと違うなんだかのほほんとして味わいのサスペンスなんだよね。一番変だったのは、やっぱりクリケットのことしか頭にないイギリス人たちで、彼らの一人が相手に、角砂糖をテーブルにおいてクリケットの試合を説明しようとするところ、例のおばあさんが砂糖をくださいと頼み、いやいやながら砂糖を全部入れ物に戻して渡すところでした。
 ちなみに、1979年にはアンソニー・ペイジがこの映画をリメイクし、日本でもこれが元ネタになったB級映画が作成された。

亀井文夫『上海』文部省、1938

ジャン・ルノワール『獣人』La Bête humaine(製作:レイモン・アキム、ロベール・アキム、脚本:ジャン・ルノワール、原作:エミール・ゾラ、撮影:クロード・ルノワール、クルト・クーラン、音楽:ジョゼフ・コスマ、出演:ジャン・ギャバン、フェルナン・ルドゥー、シモーヌ・シモン、ジュリアン・カレット、ブランシェット・ブリュノワ)フランス、1938

 びっくりしてください。これ1938年です。昭和13年。撮影のクロド・ルノワールはピエール=オーギュスト・ルノワールの第三子でしょうね、絵にも描かれた。見事な見事な撮影。夜の暗さの美しさ。ほんとにほれぼれするほど見事なフィルム・ノワールですね。うーん、こういう映画が残っていると、むかしの映画をこよなく愛する人々がいるの分かるなあ。とても今の映画はこの気品にはかなわないもん。つうか、ジャン・ルノワール、この人はいったい何なの? いやあそりゃすごい監督だっていうのは知っていたけど、それは非常に私的な愛を注げられるようなタイプのマニアックで変な監督だというイメージがあったのね。それがこんなに誰の目にも明らかに偉大な監督だったとは。1935年の『トニ』ではネオレアリスモの先駆的作品だって歴史的にも認知されているのを撮っているし、こうして38年には見事なフィルム・ノワールを撮っている。このジャンルは41年からUSAで本格化するから、やはり数年早い。もしこれが先駆的作品として影響をもったのなら、映画史の見直しをしないといけなくなっちゃう。
 一番すごいのが、なのでやはり夜の列車のシーンですね。人が歩いてくる、後ろに近づく、棒を振り上げる……。この一連のシーンの演出の見事さ、これはもうほんとに一流の一流でないと出せない緊迫感、心理描写です。ここには映画がつまってます。懐中時計に焦点を合わせるシーンの美しさといったら……。いやはや。
 小説が原作で、映画の方が面白いっていうのとかは少ないと思うのだけれど、これはもしかしたらその一つかもしれない作品なのかも。

田坂具隆『五人の斥候兵』1938

フリッツ・ラング『暗黒街の弾痕』1937

アーノルド・ファンク&伊丹万作『新しき土』(原作・脚本=アーノルト・ファンク、撮影 リヒャルト・アングスト、音楽 山田耕筰、出演=原節子 / 早川雪洲 / ルート・エヴェラー / マックス・ヒンダー / 小杉勇 / 英百合子 / 中村吉次 / 高木永二 / 市川春代 / 村田かな江 / 常盤操子)1937

ジャン・グレミヨン『不思議なヴィクトル氏』 L'Étrange Monsieur Victor、1937

清水宏『有りがたうさん(1936/日

ウィリアム・ワイラー『孔雀夫人』1936

溝口健二『祇園の姉妹』(製作 永田雅一、脚本 依田義賢、原作 溝口健二、撮影 三木稔、美術 今井恵一 / 堀口庄太郎 / 岸中勇次郎、出演 山田五十鈴 / 梅村蓉子 / 志賀廼家弁慶 / 進藤英太郎 / 深見泰三)第一映画・日本映画配給株式会社、1936

  やはり非常に柔らかい京都風の言葉で話される映画で、それだけでもう素晴らしい。京都言葉と関東言葉を比べると、フランス語と英語くらいその優雅さには差がありますな。いやほんまそうでんな。芸子が主人公というだけあって、彼女らはもちろん玄人と呼ばれる人たちではないんだけれど、まるっきり素人というわけでもないので、ある程度はもともとふっきれている女性たち。……のはずだけど、一方はぜんぜん普通の女で、一方はひたすら小ずるい女性っていうのが面白い。両方適役でいいねえ。
 それにしても、昔の日本映画をみてとくに感じるのは、この時代の文化とか、人々がもっていた人間性みたいなものが、いまではほとんど失われているなあということ。パイプとか、人情とか。世の中ひどくなっていくばっかりですよ、ってなことを昔の時代から逆照射できるんです。これもまた映画の持つ不思議な力ですな。まあ、小説でもそういう力はもってるだろうけどね。
 しかしラストの独白。ここまで言わせちゃああともう撮るものないじゃん、と思っちゃうほど率直な言葉を山田に吐かせている。やはり小津とかと比べると、溝口は社会的にはるかに過激ですね。うむむむ。

溝口健二『浪華悲歌』(脚本 依田義賢 / 藤原忠、原作 溝口健二、撮影 三木稔、美術 久光五郎 / 木川義人 / 岸中勇次郎、衣装 小笹庄治郎、出演 山田五十鈴 / 梅村蓉子 / 大倉千代子 / 大久保清子 / 浅香新八郎 / 志賀廼家弁慶 / 進藤英太郎 / 田中邦男 / 竹川誠一 / 原健作 / 滝沢静子 / 橘光造 / 志村喬)第一映画・日本映画配給株式会社、1936

 いかにも溝口。この人ってば戦前も戦後も撮る題材かわんないんだもんなあ。しかしこの時期、まだ撮影技術が発達していなかったのか、メガネが照明の光に反射してぴかぴか光るの。こういうの見たことなかったのでちょっとびっくり。「なにわえれじい」と読んでください。
 戦前の溝口の作品はほとんど残っていないんだけど、さすがに『祇園の姉妹』と並んで日本にリアリズム映画を確立した作品なので、残っているのかな。どちらも女性の話で、やはりどちらも男がらみでひどい目に遭う。こっちはもとかたぎの女性だけに、けっこう悲惨。しかしまあ、「旦那さん」とかいう言葉が戦前派普通に使われていたんだなあ。なんか時代の差を激しく感じます。
 それにしても、山田五十鈴ってこういうなんか男に恨みをもったような役柄させるとすごいはまりますね。『東京暮色』では役柄が逆になっているのは小津監督のユーモアというか、皮肉なのかな。なんかすっかりやさぐれちゃっている仕草とかがすごい上手いです。男にむかってタンカを切るときの威勢のいいこと。素晴らしいねえ。さすが天才女優。で、志村喬ってどこに出てたっけ?
 面白い人物がいろいろ出てきて、なんとも味のある映画です。みんな別に嫌な人物じゃあなくて、憎めないんだけど、やってることはけっこうひどい。で、それぞれの身勝手を一身にあびてしまうのが山田五十鈴なんだよね。いや、いつも溝口映画の女性ってそういう役どころなんですけど。ほんと、女性と一緒に見たくない監督第一位ですな。とくにフェミズムはいっている人とかとは。しかしどうよ、溝口のフェミっぷりは。同時代の観客は、それでもやはりこの女性に同情したのかいな。どうも、テーマがあまりに現代的なので、そのへんのところよくわかりませんね。
 あと注目すべきなのは、これがほぼ最初に完全に「大阪弁」(京都に近いところの言葉だと思う)で話していること。確かにこの時代、京都の撮影所が盛んだったわけだから、現代劇でもそっちの言葉で撮っていいはずなんだよね。というわけで、京都の第一映画撮影所でこの記念碑的な作品が撮られたのでした。

ジャン・ルノワールJean Renoir『ランジュ氏の犯罪』Le Crime de Monsieur Lange、1936

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1935年(世界初のカラー映画『虚栄の市』が公開。テクニカラーによる)

バルネット『青い青い海』1935

山中貞雄『丹下左膳餘話 百萬両の壷』1935

アレクサンドル・ドフチェンコ『航空都市』Aerograd、1935

キャプラ『或る夜の出来事』1934

ジャン・ヴィゴ『アタラント号』1934

ジョセフ・フォン・スタンバーグ『恋のページェント』1934

ホークス『暗黒街の顔役』scarface、1932

ジョセフ・フォン・スタンバーグ『上海特急』1932

ルビッチ『極楽特急』(1932/米)

伊丹万作『国士無双』1932

グールディング『グランド・ホテル』1932

チャップリン『街の灯』1931

クレール『自由を我等に』1931

ルネ・クレール『ル・ミリオン』1931

ジャン・エプスタイン『モル・ブラン』Mor vran、1931

ジャン・ヴィゴ『水泳選手タリス』Taris, roi de l'eau、1931

スタンバーグ『嘆きの天使』1930

アレクサンドル・ドフチェンコ『大地』1930

ルネ・クレール『巴里の屋根の下』Sous Les Toits De Paris、1930

 日本にヨーロッパのトーキー映画が入ってきたその最初期のトーキー映画(昭和六年日本公開)で、もちろんフランス最初のトーキー映画の一つ。初期のトーキー映画によくあるように、サイレントの手法とトーキーの手法が混ざった映画で、セリフが入っていない部分には音楽が入っている。
 艶歌師がまだパリにいたときの話で、こういう職業は日本にもあったらしい。歌を歌ってお金を集める商売。この映画では、歌の楽譜を売ってお金にしている。そこで歌を聴いた町の人たちが夜になるとそれぞれその歌を歌っていて、アパートの上からも下からも歌声が聞こえてきたりする。
 んで、艶歌師アルベールとルーマニアからの移民ポーラがささいなきっかけで仲良くなって……という話。その娘が鍵を盗まれて自分の家には入れなくて、アルベールの家に泊めてもらうんだけど、ベッドで「laisser moi tranquille!」とか大騒ぎになって結局、二人とも床で寝たりする光景がとても微笑ましい。そのあと、ポーラをめぐってアルベールともう一人の男が喧嘩しそうになるんだけど、そのときにナイフをもっていないアルベールが差しだれたいろんなナイフをのんびり吟味したりするのも可笑しかったりなどなど。
 フィルムの冒頭ではカメラが舞台の斜め上からゆっくりと街角に近づいていき、最後は逆の進行方向でキャメラが遠ざかっていく。この手法は観客の想像力を映画が代弁していると言える。ほかでもこの映画のキャメラの場所はけっこうユニークで、いろいろな距離やアングルで撮っている。アルベールとポーラがベッドを挟んで床で寝るシーンのショットなんかはゴダールあたりがやっててもおかしくない。ほかにも光のないシーンで音だけがしたり、会話が聞こえないシーンでは音楽のリズムやボリュームを変えることによって効果を出したりと、手法的にはかなり凝っている。
 というわけで、今でも通用するテクニックを満載した、ユーモアあふれる豊かな映画です。ちょっとミュージカルっぽくもある。SOUS LES TOITS DE PARIS, QUELLE JOIE POUR NINIと冒頭から響いてくる主題曲は、当時フランスですんごい流行ったらしい。淀川さんは大阪万博の時にクレールとこの歌を一緒に歌ったらしい。最近はカラオケにも入っているみたいなので、ぜひどうぞ。歌詞はこちら

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