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韓国映画
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韓国映画の新時代は、金大中が大統領に就任し(2000年に彼はノーベル平和賞を受賞した)、日本文化が次第に解禁されはじめ、政府がその活動を保護し た386世代が一斉に映画を発表しはじめた1998年だと言えるでしょう。この年には『八月のクリスマス』『美術館の隣の動物園』(99年に日本公開)が 公開され、さらに翌年には『シュリ』『ペパーミント・キャンディー』(99年に日本公開)が公開され、韓国でも日本でも韓国映画が大きな注目を集めること になりました。ここで活躍しているのは主に若手たちで、俳優も若い人がおおいですね。日本では2003年頃から韓流ブームになりましたが、これは一過性の 現象などではなく、韓国の社会的な変動に伴う文化的興隆に根ざしたもので、歴史的な根拠があることが韓国映画を見ればはっきりと分かります。
 ……しかし日本人のわたしたちにとって最大の魅力は、日本人にすごい似てるけれどとても理想的な俳優たち! 男優はハンサムでみんな体格がよく、女性は日本人ににて体格はよくないけれどみんな笑顔が素敵で親しみやすい。どちらも純朴そうで、いまの日本の歯優たちがもっていないそんな屈託のない笑顔をよくするんだよなあ。感情の表し方や表情にも(北欧や東欧の俳優たちが時々異星人に見えるのとは違って)なじみがあるし、なんかほっとします。シム・ウナやキム・ハヌルの笑顔のとりこになること間違いなしです。いいよなあ。
 とか言っていると、右翼左翼とも「今の韓国との政治状況に無関心でミーハーしていていいのか」とかそういう意見がたま〜に聞こえてきますが、映画を通じて韓国の社会状況や政治状況もうかがえるし、文化交流のまえに政治交流(?)をしろというのも一般人には無理な話。文化的感心より政治的感心が先行すべきだというのも偏狭な考え方だ。まあ、数十年後にいまの韓国文化の時代を振り返ってみると、そういう意見があったっていうのは馬鹿な話だなあと思えるようになるだろう、という期待、これは将来もこの良好な感心が持続するだろうという期待がもとになっているのですが、この期待は……

第61回のベネチア国際映画祭 監督賞、キム・キドク「スリー・アイアン」

「ベルリン映画祭」韓国「Samaritan girl」のキム・キドク 監督賞。

59回ベネチア国際映画祭特別監督賞 「オアシス」(イ・チャンドン監督)韓国,新人俳優賞 ムン・ソリ「オアシス」韓国

『リメンバー・ミー』

『イルマーレ』

『カル』

『グリーン・フィッシュ』

『反則王』

キム・キドク監督『春夏秋冬、そして春』(製作=イ・スンジェ、カール・バウムガルトナー、脚本=キム・ギドク、撮影=ペク・トンヒョン、美術=オ・サンマン、音楽=パク・チウン、衣装=キム・ミニ、出演=オ・ヨンス、キム・ギドク、キム・ヨンミン、ソ・ジェギョン、ハ・ヨジン、キム・ジョンホ、キム・ジョンヨン)ドイツ=韓国、2003

  おやっ、これなんか見かけたことあるなあ、Hiroであの最も美しい対決シーンだった山中の湖上+『魚と寝る女』の水に浮かぶ家って感じの風景がまず目に入るんだけど、それは寺院なわけ。
ま、こんな感じです。そこでおじいさんの坊主さんと小さな子供が住んでいる。キム・ギドク監督にしてはなんだか穏やかすぎる展開だ。いったい誰がスプラッタになるんやろか? と見ていると愛嬌のある顔つきをした小さい坊主が薬草とりに行く。お師匠さんはボートを漕いで、蛇に気をつけろよ、と背中に声をかける。坊主が薬草を採っていると、案の定蛇がするすると近づいてくる、坊主がそれに気づいたときには、蛇は襲いかかろうとしている。と、表情を変えずに坊主は蛇をつかんでぽいって投げ捨ててしまう。マジかい! うーんこいつすごい子供だ。で、また別の日に坊主は動物で遊ぶ。これがちょっと残酷なやつで、小魚や蛙に小石をひもで巻き付けるというもの。師匠さんは影で見ているけど、小僧はうひうひ笑いながら次々と石を巻き付けていく。最後には蛇にまで巻き付ける。師匠はあきれ顔で見ている。その夜、師匠さんはけっこう大きな石を小僧に巻き付ける、起きた小僧は「ぼく、背中に石が生えちゃった」、師匠曰く、くるしいのだったら昨日の魚と蛙と蛇を助けてきなさい、お前はその後だ、と言う。そ、韓国はけっこう仏教が熱心に信じられているんだよね。って最も不信心なのは日本だろうけど。日本の坊さんは、外国のお坊さんと食事するときも肉魚食べるので、「私たちは食べませんので」ってよそのお坊さんたちが言うものだから、同席していた人は恥ずかしく思ったってよ。もともと仏教は殺生禁止、だから蛇もむやみにいぢめては駄目なのだ。さすがだねえ。
 で、小僧は山のなか流れる川に重い石かついで探しに行く。小魚ちゃんは石を巻き付けられて死んでいた、蛙は一日中同じところをぴょんぴょんしていたのを助けてやった。んで、最後に血まみれになって動かない蛇をそっとつかまえたところで小僧はわんわん泣き出す、それを師匠さんは見ている。ここで「春」が終わり。タイトル通り全部で五部に別れているのね。この「春」はすごい秀逸だと思った。何より子供がこの風景によく合っているし、学ぶということの残酷さがよく出ていてなかなかによい。んで今度の「秋」は十代半ばくらいになった小僧が、病気を治すためにお祈りにきた女の子とできちゃう話し。『酔画仙』でもあったけど、こういうお寺に病気の治療目的でお祈りに来るのって韓国ではあるんだろうなあ。で、はじめは親子でくるんだけど、この女の子を病気が治るまでってことであずけちゃうのよね。まあ、こんな狭い空間に一緒にいて二人がくっつかないほうが映画的におかしいので、当然そうなって、お師匠さんに見つかって、最後女の子は家に帰されちゃうんだけど、少年の方は女の子を追いかけて出て行く。この少年が初心な感じでよい。もう可愛い女の子を目の前にしてたまらなくてついついちょっかいを出して、そのあとでぶるぶる震えながらお経読んだりして、なかなか可愛い。ま、人里離れてお師匠さまと二人で住んでて、今まで何も知らなかったんだろうなと思わせるのね。で、少年が出て行くところまでが「夏」……
 まあ、あとのストーリーは省略するけれど、だいたい分かったよね? 人生のそれぞれの段階を四つに分けて語るってわけよ。で、主人公の成長に合わせて俳優も変わっていく。最後のちょっと中年さんがキム・ギドク監督本人なので、私は心の中で「ついに出た!」と思ってしまった。うーん、監督が出てからちょっとこの映画はスピードダウン。なんかクンフーのまねごとみたいなことを太陽の光バックにはじめちゃうし、なんか石をひきづりつつ本尊かついで雪山に登ったりして、ちと臭い。監督本人が出ているものだから、なんかナルシス? とか疑っちゃうんだよなあ。ほかの俳優だったらそうは思わないんだけども。で、最後はまあ予想通りの展開できれい落ち着いて終わりなの。
 これは……まあ美しい映画ではあるんだけど、なんだかきれいにまとまりすぎているという思いがつきまとっちゃうなあ。キム監督の昔の『魚と寝る女』なんて訳の分からんパワーが映画にあったのに、それが今作ではほとんど消えて、なんかちょっとオリエンタリズム狙いのよくできた映画になっちゃってはしないかと思っちゃう。風景は美しいんだけど、ただ美しいままなんだよね、そこが不満かな。主人公が持っているだろう求道心ってのもちょっと伝わらなかったしね。んが、この映画ですごい気に入ったのは、はじめ借っていた鶏を少年が持ち出して以来お師匠さんが飼っていた猫ね。この猫は青年と一緒にお寺を出て行くって仕掛けになっているんだけど、けっこう動物が画面の中央に写るのね。はじめは鶏、次は猫、次は蛇なんだけど。で、なんといっても猫ですよね。おいぼれ猫なのに絶対そこまで上れないだろうってところに上っててにゃーんって泣いていたかと思った次の瞬間、ボートの中に座ってたりするの。変だよね。で、すごいのはお師匠さんが猫のしっぽで般若心経全文書き始めるところだよね。これね。私もおじいちゃんがなくなったときこれ読んだよ。とにかく、猫のしっぽに墨をたっぷりつけて、猫かかえたまま書き続けるんだよね。猫はいやがっているけど、おいぼれているので逃げ出せないみたい。うちの猫だったらすぐにひっかいてでも逃げ出すんだけどなあ。おとなしい猫もいるもんだ。この猫の使い方はちょとユニークで受けましたです。
 まあ、ドイツ資本と一緒に作って、欧米ウケをねらって作った映画なのか? という気がしないでもないが、キム監督に今までなかったこの落ち着きぶりはどうやら根本的な変化として彼に訪れたものらしい。んが、この映画だけ見ると、なんか中国の第五世代に逆戻りしちゃったかに見えるよ。韓国ではちょっと批判されたんじゃないかな。ま、キム監督ほどの才能だから、これからもいい映画を作ってくれることは間違いでしょうけれどもね。

『春の日のクマは好きですか?』韓国、2003

 がんばれ!ドゥナちゃんという応援サイトが立ち上がるほど一部では熱いペ・ドゥナ(え? お前だけだって?)、彼女は最近TVドラマにでもよく出ているみたいですがちょっと落ち目らしい、でも次回作はホン・ジュノらしいので、再びブレイクすることを祈ってます! で、これはそのペちゃんが出ている変なラブコメ映画。

キム・ウンスク『同い年の家庭教師』 ()韓国、2004

 2005年の「韓流シネマフェスティバル」で上映されることになっているので、ここでも紹介しちゃいます。これは韓国映画によくあるラブコメなんですが、クォン・サンウが留年している高校生役で、日本でリメイクされた『リメンバー・ミー』に出てたキム・ハヌルが その相手の家庭教師という役当て。これはもうとにかく、キム・ハヌルをみなさんにイントロデュースする映画だと思います。彼女は主にドラマで人気が出たの で、日本でもなんかドラマがそのうち公開されて、そっちでブレイクしそうな感じです。でも、彼女の出演映画としてこれも見る価値ありますからっ! 
 はじめは可愛くないといわれて、だんだん惚れられていくっちうのは、シム・ウナの『美術館のとなりの動物園』を思い出させる。なんか変な顔で、コミカル な役柄をしているのも同じ。でも、この映画のキム・ハヌルのほうがぶっ壊れているけどね。超キュートでかわいいです、ほんとに。彼女は親しみのわく「かわ いい」女優さんで、韓国の女性たちからすごい支持されているみたい。というか、笑顔にノックアウトされてしまう女優さんナンバーワンです間違いなく。
 映画としてはありがちなものなので、ドラマを見るみたいにそのノリとキャラを愉しむのが正しい見方かな。あんまりお涙な感じではない。この監督は『氷雨』(やはりキム・ハヌルが出ている)も、同じフェスティバルで公開されます。見に行かなきゃ。

ポン・ジュノ監督『殺人の追憶』()韓国、2003

 新星のように現れて我々をびっくりさせた『ほえる犬は噛まない』の監督、ポン・ジュノの第二作目。一作目のコメディとうってかわって、これはサスペンス……というよりも、社会派ドラマ+刑事物+人間ドラマです。それといくつかのユーモア。なんかね、はじめのシーンで、子供たちが走り回っているところに死体が隠れているというシチュエーションがあって、それがなんとも馬鹿馬鹿しいような悲劇的なような雰囲気を出していて、ああ、これは私が初めて見るテイストの映画だ、と思わせて、しかもそのまま最後までその期待を裏切らない。これは、確かに、映画史における(ささやかなものかもしれないけれど)事件だと思います。そして、私たちはこの映画に出会えたことに感謝するのでした。
 え? 見たけどそんなにすごい映画じゃなかたって? 刑事たちが馬鹿でどうしようもない、とか、事件が解決されないままで気にくわないだって? まあ、そりゃそうでしょ。でもね、あの刑事たちの描き方、なんともみんな人間くさくっていいじゃない? それに、田舎の刑事とソウルから来た刑事の役割が最後で逆転するところなんか、いや、あれが最大の見せ場なんだけど、そこまでいろいろ当時の韓国の社会情勢や公的機関のあり方なんかを皮肉っぽく描いてきていて、刑事たちも当然、かなり皮肉なまなざしで捉えられているのだけど、あの最後のシーンでそういうのも全部流し去って、ひどくもの悲しい眼で刑事たちを監督は描くわけなんだけど、あそこで、この映画は異常な殺人事件とそれに関わる人間たちを通して、誰にでもある程度共通する人間の狂気の側面、というようなものに振れているわけですよ。と、ここまで書かなくっちゃわからないわけでもあるまい。日本の映画って、なんかクライマックスであまあまな方向に流れていったりすることが多くて、日本人に特有のナルシシズムにうんざりさせられることが多いんだけど(あるいはそうしたナルシシズムをやはりあまあまな形で批判的に描くだけで終わったりね)、これは、実際にあった事件にふさわしいだけの厳しい問いを投げかけているように思えます。ええと、このことを現象に即して記述すると、映画が投げかける圧倒的な情念に観客はすっかりつれされて、涙してしまう、となります。
 しかし、この時代の韓国の歴史ってのは、とっても面白いもので、世界的に見ても重要なものだし、これ以降ますます激しくなる民主化運動なんてのは、まさに世界史的に感動的な出来事なのだから、もう少し日本でもきちんと教えられるようになってほしい(南アフリカの歴史と等じぐらいなほどには)ものです。と、自分の無知を棚にあげつつ書いておきます。事件そのものについての資料はこちら
 あと、この映画はかなり演出や技術が優れているので、そっちのほうでもびっくりしてください。でも、一回見ただけでは、あの二回目の事件の現場検証のシーンがワンシーンワンカットになっているなんて気づきませんでした……。ほかには、天候とか、ロケにはすんごい力入ってます。臨場感ありまくりです。まあ、とにかく見事な映画だってことです。

キム・ギドク『コースト・ガード』海岸線(製作 イ・スンジェ、脚本 キム・ギドク、撮影 ペク・トンヒョン、美術 ユン・ジュフン、音楽 チャン・ヨンギュ、衣装 キム・ミニ、出演 チャン・ドンゴン / キム・ジョンハク / パク・チア / ユ・ヘジン)2002/韓国

 キム・ギドク監督の映画は、見終わったあと誰かに話をしなければ収まらないようなパワーに満ちている。というか、とんでもないものを見てしまったという驚きを誰かに伝えたくてどうしようもなくなってしまうのがキム・ギドク作品だ。今まで見た作品の中では、やはり『魚と寝る女』と『悪い男』の見事なイメージの作り方が印象に残っているけれど、最近の変化しつつあるどこか優しいキム・ギドク作品もそう嫌いではない。で、『春夏秋冬……』を撮る前、つまり変化する前の作品がこれで、それまでの暴力映画系列の頂点に立つ映画。なるほど、ここまでいくと、あともうこの路線を続けられなくなるわなあと思わせるほどイッチャッテル映画で、そのへんの移り変わりが彼の作家性をより感じさせるのも事実。
 なんと四天王の一人、チャン・ドンゴンが主演のこの映画、監督自身がどっぷり使ったことのある軍隊生活を舞台にして、戦争と軍隊が生み出す狂気と残酷さを徹底的に描いている。よくまあこれを政府が上映許可したものだよなあ。まあ、あらすじを語ることはせずに、もう見た人を対象に少しだけ解説をすることにしましょう。
 民間人を正当な職務遂行のためとはいえ殺してしまったカン上等兵が除隊になったあとも軍隊にこだわるのはなぜか。その程度のことは理解してほしいんだけど、彼は「戦争」とあまりに深く関わりすぎてしまったんだよね、一人だけ。ここで言う「戦争」ってのは、もちろん民間人も誤って殺しうる実際の戦争のことです。韓国はいっけん平和で、みんな戦争状態にあるとは思っていないけれど、国境・海岸付近は戦時下にあるといっていい厳戒態勢がとられていた(今もどうかはわかんないけれど)。で、実際にこういう事件もあって、狂ってしまった兵隊を監督自身が見て、今回映画化したということ。んで、一人だけ戦争とコミットしすぎたカン上等兵は、現役の兵隊たちがいかにも生ぬるいように見える。なんだかんだ言っても、やはり兵隊も平和ぼけしているんだろうね。彼からすれば。あるいは、あまりに日常とかけはなれた世界に係わってしまった彼は、もはや普通の世界で自分の居場所を見いだすことができずに、軍隊のまわりをうろちょろすることしかしようがない。実際の戦争を行っていない以上、軍隊にそれほど仕事があるわけでもなく、軍隊は彼を社会に復帰させるんだけど、それこそもっとも残酷なことでもあるんだよね。
 んで、ついに彼自身が軍隊によって発砲されるという事件をへて、彼の神経は破壊され、彼を追い出した軍隊そのものを敵とみなして行動しはじめる。まあ、ここまで描くかあという展開がこのあとつづくんだよなあ。軍隊の中でも嫉妬とかそういう醜い対立なんかを容赦なく描いていて、ハン上等兵が殺したと思われるなんとか一等兵を憎んでいたなんとか士官に、おまえが殺したんじゃないか、でもあいつもひどかった、みたいな発言さえほかの兵隊がするわけ。うーむ。ハン上等兵の行動が、軍隊を本当の戦争状態に置くと同時に、それがもつ狂気さえ兵隊たちに与えつつある。で、最後に街のなかで民間人を銃でつくところなんかは、兵役制があり、交戦態勢にある軍隊をもちながら、平和を謳歌している韓国社会への強烈な違和みたいな感覚がすごくよく現れていた。戦争文学といえば『本当の戦争の話をしよう』とか『キャッチ22』とかが私的大のお勧めなんだけれど(というか、必読書です)、これもそれに並ぶくらいの本当の戦争物語です。やはり韓国社会はすごいネタの宝庫だ。
 でも、これがほかのキム・ギドク作品に比べてあんまり受けないし理解されない理由もまあわかるっちゃあわかるんだよね。戦争ものといえば『プライベート・ライアン』とかしか思いつかない貧困な体験が原因かもしれんが。ほんとうの戦争とは語りえないところにこそある。キム監督はそのことをよく分かっている。で、その語りえないものを抱えた人物を主人公にしているからこそ、その内面描写なんかもこちらに理解できるような仕方ではできない。そこはむしろ倫理的な態度なんだけど、分かりづらいっちゃあ分かりづらい。確かにその内面に接近しようがないほど狂ってしまった人物を描いているのよね。そこにこそ、この後監督が方向転換せざるをえなかった理由ってのもあると思うのです。でも、おそらくこの作品こそが彼にとって最も特別なものじゃないかな。
 チャン・ドンゴンは迫力ある演技を見せるし、狂った女を演じるパク・チアの撮り方なんかも素晴らしい(彼女の狂気に崇高さなど見せる必要はないので、この撮り方でいいのです)。軍隊生活の描き方なんかも実際の体験に裏打ちされただけあってリアルで、細部に富んでいる。もちろん、カメラの使いかたも、画面のきりかわりなんかにも迫力あがる。思いテーマに負けないこんだけの画面を提示できるってのは、やはり才能です。『殺人の追憶』や『オールド・ボーイ』にも劣らない傑作です。必見。

イ・ハン監督『永遠の片想い』 (製作=ハン・ソング、脚本=イ・ハン、撮影=チン・ヨンファン、美術 ヤン・ホンサム、音楽 キム・サンホン、衣装=オム・ホジョン、出演=チャ・テヒョン 、ソン・イェジン、イ・ウンジュ、ムン・グニョン、パク・ヨンウ、キム・ナムジン)韓国、2002

 最近自殺しちゃったイ・ウンジェさんも出ているこの映画。韓国のラブストーリーものとしてはかなり秀逸な作品です。監督のイ・ハンさんは『ほえる犬は噛まない』で美術を担当していた方ですね〜。チャ・テヒョンはご存じ『猟奇的な……』のあの間抜けな男の子で、ソン・イジャンは『ラブ・ストーリー』にこの後出る人ですね。写真と不治の病ってのがキーになっている映画って『八月のクリスマス』以来の韓国映画の王道だよね。でもこれは、女二人と男一人っていうそのシチュエーションが楽しい。ソン・イェジンとイ・ウンジェがじつはかなり似ているのも面白い(これはストーリー上かなり重要な設定なんだけどね)。
 まあなによりもみなさん、イ・ウンジェの他を圧倒する好演をよく見てください。かなりかわったチャ・テヒョンにはじめから好意をよせるちょっとかわった女の子役を見事に演じていて素敵です。『イル・ポスティーノ』が出てくるなんて憎い演出じゃあないですか。っていうか、そんなに前のことなんだなああの映画、もう。んでまあ、三角関係のお約束通り、かたっぽが……という設定なんだけど、その後から語り始めている枠がうまく機能していて、感動の再会にいたる過程がけっこうもりあがってよいのです。いいなあ、こういうお話。単純だけど美しいよ。
 え? どっちがどっちだって? 要するに、男の前では名前を交換していたってことなんだけど、あのへんな郵便配達員のほうが気になるよ。ぜんぜん『イル・ポスティーノ』じゃないぞあれ。イ・ウンジャがことあるごとに『神聖な〜』とかって言うのもキャラが立っていて好きです。個性的だよなあ彼女ほんとに。なんで自殺しちゃったんだろう……。しくしく。韓国映画界って深い暗部を抱えているのかもしれないなあ。社会もまだ発展途上だし。なんかお力になりたいものですが、いかんせん無力なワタクシ。おっと、彼女とイ・ビョンホンが出ている『バンジージャンプする』がいま銀座で公開中ですから、見てください。

気まぐれな唇(ホン・サンス)、韓国、2002

 最近、というかここ数年元気な韓国映画なだけに期待して見に行ったのに……。うーん。まあなんというか、時代を写すというのは芸術にとって不可欠な契機ではあるんだけども、それだけじゃあ芸術にはならなくって、むしろ時代が投げかける問題に真摯に取り組んだ芸術のみが後世に生き残る、とわたしゃあつねづね思っているんですが、この映画はどうかね。「現代の」男女関係、「現代の」浮遊した人間のアイデンティティーとか、そういうものって、とりたてて今更現代の芸術が話題にするべきだとも思わないし、とりたてて映画的な題材だともこれっぽちも思わない。
 いや、別に主人公が成長すべきだ、とか、もっと美しい男女関係を描け、だとか、そーゆうことを言いたいわけじゃあないのよ。あああ、今分かったぞ。こういう、駄目駄目で、モラルを無視した男女を描いたから、そーゆう国の韓国で人気が出たのね、この映画。でも……なんかカメラ一台で、とりたてて面白い演出も、構図も、息をのむようなショットもないまま、ほんとに日常そのままの映像とリズムで続いていく映画ってのは、ただ退屈なんですよ。予告編はなんかすっごい非日常な感じの映画っぽく見えたんだけど、本編はぜんぜん違った……。
 主演の駄目駄目な男を演じたキム・サンギョンは、今年上映される映画のなかでもピカ一であろう『殺人の追憶』にも出るので、まあそのへんが注目のしどころですな。しっかし、なんかエピソード的なシーンがいくつかあって、しかもそれが思わせぶりなのに、後々のストーリーに何の関係もなかったりするので、ちょっと単純な編集ミスというか、完成していない映画のような気がするんだけどね……。何なんだろうね、あれ。

チョン・ジェウン監督『子猫をお願い』製作=オ・ギミン、脚本=チョン・ジェウン、撮影=チェ・ヨンファン、美術=キム・ジンチョル、音楽=M&F、出演=ペ・ドゥナ / イ・ヨウォン / オク・ジヨン / イ・ウンシル / イ・ウンジュ(韓国、2001)

 こんな映画を見てしまったら、数日は涙にまみれているのだろうから、人と会うことなんかできなくなってしまうかもしれない。しかしそれが、あまりにも見事で躍動的なその演技と映像や、映像をさらに浮遊させるが決して浮き上がらない素晴らしい音楽のためなのか、それともあからさまはものは何一つないのに雄弁でどうしようもないその語り口から伝わってくるやるせない気持ちと行き場はないのに唯一残された選択肢としての決意感のせいなのか分かりかねて、もう一度、いや三度五度と繰り返しこの映画を見るたびに嗚咽することになるのかもしれない。

 はじめの五人の楽しそうな光景から一転して、マンションで夫婦げんかのために窓がパリンと割れるその一室から歩き出してきたであろうヘジュ(イ・ヨウォン)がスーツ姿で現れ、その騒動を気にすることなく歩き続け、さらには追い打ちをかけるように窓ガラスを粉々に割られた車を眼にするところで、この映画がよくある韓国映画とは違う物語へと私たちを連れ出そうとしていることが分かる。よくある韓国映画なら、高校時代の友達関係を楽しく描いて恋愛で味付けをして、就職したあとの話などオマケ程度に語られるにすぎないだろうが、この映画では仲のよかった五人のその後を語ろうとしているわけだ。そしてここでヘジュが目にする剣呑な風景は、彼女たちの描き方がリアルなものであるだろうこと、その物語がいくらか痛みを伴わないではいられないものであることを暗示しており、私たちが向き合わずにはいられないものについてこれから語り出すだろうことを感じる。その予感に加えて、ヘジュが改札を抜けて電車に乗り、その電車が動き出すさまや、彼女が出勤してブラインドをあげていくうちにタイトルが見えるあたりの絶妙なリズムの心地よさがあいまって、この映画がまさに「それ」ではないだろうかと胸が高まる。

 年にいくつも素晴らしい映画に巡り会うこともあるし、それらは強烈な印象をもって記憶に残るもするのだが、長い間その映画につきあう続けることができ、秘蔵の宝物とまでなるような映画にはまれにしか巡り会うことができない。脚本の完成度が高いとか、演技が最高だとか、音楽が心地よいとかそういうことは必要条件として当然だが、むしろその映画が語っているテーマに対して取っている姿勢、その語り口が生み出す効果といったもの……、驚くほど知的だが真摯な人生へのまなざしが生み出しているその作り方には無駄なところがまったくなく、どのショットもはっとするほど美しく(そのまなざしそのものによって獲得している美しさだが)、終始一貫した流れが支配していることからは監督がこの映画にこめている信念を読み取ることができ、そこから感じることができる人生のとらえ方に深く共感せずにはいられないこと、そしてそうしたすべてがあいまって、言葉に表すことが難しいが人生には確かにある一時期の感情、あるいは長い目で見れば一瞬の出来事かもしれないが決定的な事件だったのにそれについて明確な言葉で語ることができないようなある秘められた局面とでも言うべきもの、そうしたことを語りうることにまで到達している映画こそがその十分条件をなすのだが、そうした映画に巡りあうことは少ない。

『子猫をお願い』を奇跡的な映画と呼ぶよりかは、一人の新人女性監督の人生と映画に対する確信的なまなざしが生み出さずにはいられなかった映画だと理解する方が正しいだろう。映像美に流れることも、もちろん単なる感傷に流れることもなく、ただただ力強く美しい女性同士の友情という主題を描ききるなんて、普通の映像好きの人間にできることではないのだし。

 しかしあまりに性急にこの映画の「内部」について語りすぎてはいけないだろう。この映画の魅力は何よりもまずその素晴らしい、動きのある映像にある。誕生日に五人が集まって携帯電話を振りながら歌を歌うシーン、ペ・ドゥナが友達の家を探しにバラックのような貧しい住宅街をさまようシーンや、イ・ヨウォンがドレスを披露している横でペ・ドゥナが夢想にひたるシーンや、ペ・ドゥナが頭に電灯をつけて本を読みつつ友達を待っているシーンなど、どれも美しく情感に満ちていて、思い出すだけで涙が流れそうではないか。こうした信じがたいほどきらめいたシーンをとり続けることができるということ、それこそまさに特権的な映画監督にのみ許された至福の時間なのだろう。こうした映画についてこれ以上なにか観念的に語ることで伝えられることなどあるだろうか。

 とにかく、この映画は「韓国映画の傑作」といった程度のものではなく、映画そのものに対して、真に斬新で現代的な貢献をした作品であるのはまちがいない。対象にできるだけ近寄ってとり続けるカメラの視線は、デジタルカメラの優れた使い方を示しただけでなく、今日の映画が獲得した「視線」というものを意味しているし、個々のキャラクターの自然な写し方(とくに綺麗な衣装をつけているわけでもないということなど)が十分に美しい映像になるということ、それは絶えず動きを追いつつづけることによって生まれるということ、などなどをこの映画は見事に教えてくれる。しかしこうしたテクニックを通してこの映画が成功したある語りのスタイルというもの、それがこの映画の主題を見事に語り尽くしていることにこそ、この映画の尽きせぬ感動があるのだ。

「子猫をお願い」 応援サイト

キム・キドク監督『悪い男』 (製作総指揮 キム・スンボム、製作=イ・スンジェ、脚本 キム・ギドク、撮影 ファン・チョリョン、美術 キム・ソンジュ、音楽 パク・ホジュン、衣装 チョン・ホンジュ、出演=チョ・ジェヒョン、ソ・ウォン、チェ・ドンムン、キム・ユンテ、キム・ジョンヨン)韓国、2001

 まあなんという映画でしょう、これ。ほんとに、これはすごい映画ですね。というか、やっぱり今は世界映画史に残るぐらいの韓国映画の時代なんですね。ネオ・レアリズモみたいな総称はないけれども、21世紀初頭の韓国映画の時代、歴史的な。だってだってだってこんなにいい映画がたくさんあるんだもの。いや、この監督は、たんにいい映画というだけじゃなくって、なんかすごく新鮮な映画を撮るのね。珍しい、けれどすごく感覚的な。んで怖いの。
 男がある女を好きになって、その女を自分の物にするために罠にかけて娼婦に落とすって話なの。自分の手元においておくためにはそうするしかない恋する男の哀れさと、娼婦に落とされた女の哀れさとがなんともいえんわけ。ね、面白そうでしょ。あんまり聞いたことがないもんね、そんな不道徳な話。もちろんこれは大きな反応を巻き起こしたんだけど、まあつべこべ言わずにまず見れって感じ。でも多くの女の人は頭に来ちゃって普通に見れないのかしらん。でも一つだけ頭に置いておくべきなのは、映画でどんなことを描いていても、撮ってる人はそれを肯定しているわけではないということね。アメリカ映画でばんばん人が死ぬのは、アメリカが人を殺すのを肯定しているようにも見えるけど……この映画を見れば女の人の哀れさってのがすごくよく描かれているので、その点についてはすぐ分かると思います。自分の泣き顔をまざまざと鏡で見るところなんか、ほんと哀れでいいです。あ、私が「いい」ってかいてんのは、映画としていいってことね(はあはあ、映画ってこんなに弁明しないといけないものだったかなあ?)。
 男がおんなの姿をじっとマジック・ミラーごしに見てんの。これがなんともしれん味わいなの、見る男の姿が。なんかまるで子供のような、好きな人をじっと遠くから見つめるような少年のように熱心なの。いいなあ、この倒錯っぷり。このとことんまで追いつめられた恋愛のカタチ。でね、たまに女の顔と男の顔が重なって、女の顔をなんか心配そうに、夢中になりながら男はむさぼるように見つめているのが、スクリーンでは両方の顔がこっちに向いている状態で映されるのね。これがすてきなんだよねえ。そうです、ゾクゾクしますた。これは、そういう背筋にくる映画です。ああスクリーンで見られてよかったなあ、これ。
 んでもね、なんかちょっとだけ不満なの。音楽の使い方がね、そんなによくないの。そんなに悪くはないんだけど、ちょっとだけ大げさ。音楽なんかなくっても十分色っぽい映画なのに、二人が別れるところなんかでガンガンならなくっても十分エモーショナルなのに。……なんか、そのマジックミラーのところとか、ストーリーのすごさとか、そういう素晴らしいアイデアに、ほかの要素がついていってないって感じ。脇役なんかほんとに脇役だし……。うーん。あと十年暖めていればもっととんでもない傑作になっただろうになあ……。
 と、不満が出るぐらいいい映画だったのは確か。最後に明らかになる男の過去へのもっていき方なんかはすごくよい。すごく好き、こういうふしぎなの。女が写真の中の服を見つけて、男と一緒に座ると、その写真まんまになるところ。いいねえ、詩的だねえ。主演二人の演技は超すごかったです。主演男優賞と女優賞どっちも取っちゃうほど。山本太郎を悪役にした感じのチョ・ジェヒョンはすんごい迫力があって、とても純粋な眼をしてるの。ソ・ウォンは『魚と寝る女』にも娼婦役で出ていたけど、この映画ではまさに入魂の演技。犯されるわヌードになるわ、目のまで男が死にそうになるわ、いろんな服を着ても可愛いわ(これは演技じゃないけど)で、もうびっくり。いい女優になるのって、いい男優になるのかより難しいかもしんない、と真剣に思ってしまうのは、この人の過酷なシチュエーションでの名演をしってしまったからなの。
 単にセンセーショナルってだけではない、十分に映像美を堪能させてくれる映画です。いろいろと反論が出てこないではいられない映画でもありますが、ここでは立ち入りません。でも、フェミニストたちがどうこの映画をけなすのかなんて、聞かなくってもわかっちゃうんだけど、この映画の展開は想像を絶するもんね。それだけでこの映画の勝ちだし価値だと思うんですが、どうでしょうか? この人の新作は『サマリア』。これもすんごい面白そう。みんな、まわりの人を誘ってぜひ見に行きましょう。

キム・ギドク『受取人不明』Address Unknown(製作:イ・スンジェ、脚本:キム・ギドク、撮影:ソ・ジョンミン、美術:キム・ギドク、音楽:パク・ホジュン、出演:ヤン・ドングン / パン・ミンジョン / キム・ヨンミン / チョ・ジェヒョン / パン・ウンジン / ミョン・ケナム)韓国、2001

 キム・キドクj監督第六作目。うーん、韓国映画とは思えないほど暗いし痛いです。でもこれ80パーセントは実話とのこと。実際、すごくリアルで、お話しだと自分に言い聞かせながら見ないと痛くてどうにかなってしまいそうだ。あまりにも痛いのでなんだかこの映画について語るのがつらいと思わせてしまう……。このへんが韓国で興行的には失敗している原因かもなあ。
 しかしこれはすんごい力作。やはりキム・キドク・ワールドで埋め尽くされているその世界。しかし今回は朝鮮戦争という傷跡にはっきりと向かい合っている点で、けっこう社会的な映画だ。ただ、淀川さんならこの冷たい映画に憤って、「救いがない」とおっしゃるだろう。でも私は、結局は他人を殺すことに失敗しているジフム(キム・ヨンミン)に向けられている目線は柔らかいもののように思え、彼だけが愛と裏切りに伴う痛みを抱えながらも、それでも最後まで無垢であるように見えた。ま、みんな無垢なんだけど。チャングク(ヤン・ドングン)とそのお母さんもそうだし、あのアメリカ人もそう。その無垢さを許さない社会ってものが描かれているんだけども、やはり彼らのたどる運命はいかにも悲惨を絵に描いたようなもので、ちょっといただけないんだよなあ……。

ホ・ジノ監督『春の日は過ぎゆく』(インタビューはこちら、出演=ユ・ジテ、イ・ヨンエ ) 、韓国、2001

 これはすごくいい映画ですねえ。まあ、あなたこれに泣けないようじゃあまだまだ人生経験足りませんわね。実際、あちこちで評価がはっきり二分していて、「退屈な失恋映画」とか言っている人を見るたびにそう思っちゃう。映画ってほんとに見る人間選ぶよね。まあ、これはとくにかなり文学的なテーマなので、仕方ないのです(いや、いろんな見方ができることは否定しません。その時々に応じて愉しんでください)。
 あのね、ユ・ジテのお母さん役の人が「早く恋人を連れてきてよ、いつまで私に家事をやらせるつもりなの」っていうシーンがあるでしょ。あのセリフをイ・ヨンエはもうすでに聞いているんですね、昔。ユ・ジテの方も面白くて、むかし彼のおじいちゃんが浮気したことがある。で、今のおばあちゃんがそのことにまだこだわっているのを知っている。だからこそ許せないものがある(おばあちゃんへの植木鉢がなんて皮肉な!)。んで、最後の二人のすれ違いがまあなんともいえんわけです。これ以上書きませんよ、あたしゃあ野暮じゃないんで。
 んでね、静物画ショットとか、けっこう小津を意識して撮ってるよね、これ。小津にしちゃあセリフは少なすぎるけど、それはもう道具立てがそろっていて、とくに二人の間に特別なドラマは必要ないから。にしても、音を採集しているあいだに恋に落ちるのって、ほんとに理想的な恋の落ち方、とうか、恋にこれ以上はないっていうぐらいぴったりのものだよね。あの二人して息をつめて耳をかたむけているシーンのなんという美しさ! びっくりするなあ、ほれぼれするなあ。まるでイラン映画みたい。韓国映画ってコミカルなものが多いっていう印象があるけど、これは違いましたねえ。叙情詩ですねえ。一つ一つのショットや焦点の会わせ方なんかもすごい気を配っていて、映画を撮る人なんかはこれを見てぜひよく勉強してくださいって感じ(嫌みじゃないですよ)。
 二人の演技も素晴らしいなあ。『オールド・ボーイ』ではあんなに怖かったイ・ヨンエがかがんで電話かけているシーンの愛らしさ。そしてJSAですごい美人を演じていたユ・ジテのかわいらしさといったらなんかオーラ出てます。すごい雰囲気のある人ですこの人。ちょっと複雑な性格でいろいろと悩みなんかを抱えつつ恋に落ちたりもしたいという女性を見事に演じているなあ。この二人の演技を十分に引き出す、たとえばあの、二人が一緒にいるシーンの演出なんかも見事だよね。すね毛とってたりするし。リアルだなあ。身につつまされるなあ、なんか。
 最後の別れのシーンについてイ・ヨンエがこんなことを言ってます。「ウンスは複雑な女性です。彼女は彼を本当に愛していたのか、考えてみてください。ラストの別れのシーンでも、ウンスは後ろを向いて歩き去る、正面の顔はどうなっているのか、想像してみて欲しい。それはあなたの過去の姿かもしれないし、未来の姿かもしれない」。彼女がこういったのは、それをどう想像するかということはあなたの人生に深くかかわっていることなのだ、ということでしょう。イ・ヨンエが何を覚えていたのか分かりませんが、ここでは分かれた後の二人の心境の違いがはっきりと現れているシーンで見てみてつらいですね。
 きっと韓国の人の心情っていうのは日本人にすごく近いのでしょうね、なんだかこれですごくよく分かりました。女性の黒髪も美しいしねえ。微妙な(繊細な?)表情なんかも日本人に似ている。若い男のみなさんは、ぜひこれを見て、現代を生きる女性の心の機敏というものを理解してほしいですな。ホ・ジノさんの次回作はペ・ヨンジュンでいくそうです。
 ええと、もうちょっと言いたいことがあるぞ。一般の評価では、この映画は前作の『八月のクリスマス』より劣るってことになっているけれど、とんでもない! こっちの方が自然の豊かさ(何より音!)が映画にいい味出しているし、二人の間の雰囲気の描き方も芸が細かい。二人が別れなきゃ いけない理由もリアルになっている。なんといっても、全体の繊細さが素晴らしい。明らかにこっちも文句なしにいい映画なんだけどなあ。批評家と自分を偽っている連中までそんな意見だなんて、ただの恋愛映画好きの人と同じ価値観で映画を見てそれでプロかい! まったく頭にくるよなあ。

黒水仙(ペ・チャンホ)、韓国、2001

 ええと、この監督は韓国の監督としてはけっこう前衛的なほうで、溝口のまねしたような映画とかもがんばって撮っている人らしい。 でもこれはそこそこ楽しめる娯楽作。
 なんつーか、ハリウッド映画の文法を完璧に守って、しかもあちこちでその文法を極度に律儀に守ることによってある種のユーモアさえ生み出しつつ、しかも観客の期待を裏切らない作品にしているのは、確かに相当な力量ではありますよ。でも……あまりにベタというか、なんつーか、いやはや……。まああれだ、日本のドラマとか見慣れている我々にしてみれば、そのまま日本でも通用しそうないかにもな俳優たち(全俳優のオルタナティブが日本にもいるとも言える)が期待通りの役柄を演じてしまうように思えてしまうというのも、ベタだなあと思ってしまう一因ではあるのよ。主役の彼、山本太郎に似てるし。というか、彼にやらせたらもっといい映画になるぞよ(いや、でも主要役者たちの演技はほんと素晴らしいものでしたよ)。それはおいといて……と。この問題に関しては、監督自身から興味深い発言があったのだ。「『黒水仙』は、リアリズムを追求するというよりは、古典的でオーソドックスなストーリーテリングの映画を作りたい、という思いで製作した作品です。ところが韓国ではこの映画を見た人たちの中で、若ければ若いほどこの映画に共感しづらい、という現象があった。韓国では逆にオーソドックスなストーリーテリング物というのが、若い人たちにとってはなじみが薄かったのかもしれません。もっと分かりやすい上に刺激的なものを今の若い人たちは求めているのだと思うのですが、この作品は集中して考えることを要求される映画ですし、朝鮮戦争が背景になっていて、映画でまた北朝鮮の話を聞かされることにひょっとしたら嫌気がさしていたのかもしれません。年齢層が高ければ高いほどこの映画に対する反応は良かったんです。」ああああ、そうだったのか、この映画の語り口は若い人には古典的すぎるのねー。うーむ、さすがに韓国でもそうなのか。うーむ……、これ、1950年代ぐらいのスタイルなのかなあ。
 しかし、日本(この映画では美しい宮崎)が懐かしい風景として、アジア映画でよく描かれるのはなんとも不思議。この映画ではただの観光地だけどね。あと、これ全部ジョークな笑える映画だと信じていたのに、クレジットになって『イマジン』が流れ出すとボーゼンとしちゃうのは、あたしだけなのか?(いや、韓国の若者もそうだ
て、監督言ってますよね)

キム・キドク監督『魚と寝る女』The Isle(製作総指揮 ソク・ドンジュン、製作 イ・ウン、脚本 キム・ギドク、撮影 ファン・ソシク、美術 キム・ギドク、音楽 チョン・サンユン、衣装 ジュ・ウンジョン、出演 ソ・ジョン / キム・ヨソク / パク・ソンヒ / チョ・ジェヒョン / チャン・ハンソン 、字幕=根本理恵)、韓国、2000

 参ったっす。なんか変です、この監督ゼッタイ。冒頭はね、すごく美しいの。大きな川に板の上に立った小屋がいくつも浮かんでいて、そこにボートで女がいくのね。つり客の相手をしてんの。この、川の上で暮らすってのがすごく素敵。とうか、そこから動かない映画ってほかに見たことないなあ。この監督は特異なセンスを持っているのね、とまず思わせるの。こういう限られた美しい空間で話が進むってだけでもウキウキするもの。だって、どう考えても普通のハリウッド映画みたいにはなんないでしょ。で、そゆうこっちの想像を軽々とこの映画は超えていくわけ。怖いです。
 霧のなかに浮かんでいる小屋では、男たちがそのつり小屋の女を買ったり、娼婦を呼んだり好き勝手やってるんだけど、一人だけなんかまともに釣りもしない変な男がいて、自殺しようとしてんのをその女が不気味な仕方で助けるの。なんか板の下から拳銃を持ってる男の手にぶすってくるわけ。で、女はずぶぬれになって男の目の前を悠々とボートで横切る。女は一言も物言わないの。そういや、『悪い男』の男も一言しかしゃべんない男だったねえ。でも、この映画は変な音楽がかかんないだけに、完成度というか、その世界観の表し方という点では優れているかもしれない。
 原題はきっと「島」っていう意味で、なんか変な実験的な芝居を思わせるような邦題よりはこの映画の内容をシンプルに表していて好きです。この監督さん、「韓国の北野武」って言われてるみたいなの。で、彼と同じように普通の映画監督みたいなキャリアをたどっていない異端児なの。これってすごい面白い。型破りな美の世界を描くことができるたぐいまれな日韓の監督が、やはり通常の映画的環境から生まれていないってことがね。そういう点で二人は似ているのだと思う。もちろん、キム監督が北野監督の物まねをしてるわけでもないし、似たような映画を作っているわけではない。北野監督の暴力はヤクザの暴力だけど、キム監督の暴力ってのは自分を傷つけるもので、心の痛みなの。キム監督のほうがもっと容赦なく人間をえぐり出すって感じ。だからこそ怖いわけ。
 まあ、ヴェネチア映画祭で失神する人も出したっていうこの映画の「痛さ」はほんとに半端じゃない。こんな痛いこと普通想像できないでしょ。って、書いちゃうと怖くなってこの映画見ない人がいるかもしれないから書かないけれど、ちょっと度をすぎていすぎてジョークっぽくもなっていることは書いてもいいでしょう。だって、釣り針を取った後(あ、言っちゃった)、コトができるほど興奮できる男なんていないと思うし、釣り針が刺さったまま、水に沈めて隠しちゃう女の神経ってのも普通ありえない。このへんはほんとに変態的で、かなり笑えます(でも映画館ではみんな笑ってなかった……なんで???)。ちょっと縛られたからってすぐ自殺しちゃう娼婦も変だし、それを探しに来た男をさっさと殺しちゃうってのも変。自殺しにきたのになんかのんびりしてて、娼婦まで抱いちゃう男ってのもやっぱり変だし。みんな変。でも面白い。人間ってそゆうものかもなあっていう気もする。そのへんの味付けはすごく上手いと思う。
 今の韓国映画はこんなに独自な色のある映画も出てくるんだなあと思うと、その豊かさがうわべだけのものじゃないってことが実感できます。実際、韓国が世界に向かってこれだけ表現できるってのも歴史になかったことだろうし。こんだけ韓国からいろんなものが伝わってくるなんて、日本でも秀吉の遠征以来(もしかしたら太古以来?)じゃないかしらんとまで思っちゃう。そうゆう意味では、今はほんとに恵まれた時代。みんな韓国映画をたくさん見て、韓国に目覚めましょう!!

ポン・ジュノ監督『ほえる犬は噛まない』(製作 =チャ・スンジェ、脚本=ポン・ジュノ、ソン・テウン、ソン・ジホ、撮影=チョ・ヨンギュ、美術=イ・ハン、音楽=チョ・ソンウ、衣装=チェ・ユンジョン、出演=ペ・ドゥナ、イ・ソンジェ、キム・ホジョン、コ・スヒ、ピョン・ヒボン、キム・ルェハ、イム・サンス)韓国、2000

 ランランラン、ランランラン、ランララ・ララ・ラララ〜、ランランラン、ランランラン、ランララ・ララ・ラララ〜。これって、原題は『フランダースの犬』なんだよね。でも全然関係ないよね、内容と。単にこの歌の、ノリのよさっぽいのが感じられるだけか。あと、犬が出てくることってだけか。でも、いいのだ。このテキトーさ加減で、それでもいい映画をとるこの監督に、とにかく脱帽するべしなのだ。私にとってこれが韓国映画に開眼させることになった一本目だっただけに思い出深いし、もう一度みたい作品だなあ。
 けっこう雑に撮られ、編集されているのに、印象的なシーンが多くて、ひとっつも野暮ったいところがない。これは、正直、コリーヌ・セローなんかよりはるかにセンスがいいと思います。黄色いカッパを着た小学生がコピー機を前にしていたり、トイレットペーパーを道に転がしたりと、なんだかシーンとして面白い。というわけで、ひたすらシーンごとのおもしろさを味わう映画なんです。大学の非常勤講師で、OLの妻に養われているユンジュ(イ・ソンジェ)がおばあさんの犬をダッシュで奪ってラガーマンよろしくヒラリと茂みにとびこむあたりとか、そのユンジュが犬をマンションの屋上から放りなげるとこを目撃した、マンションの管理事務所で働いているいつも黄色いパーカーを着ているヒョンナム(ペ・ドゥナ)が彼をマンション内で追いかけていると、開いてきたドアにぶつかってまっすぐに倒れるシーンで飛行機の映像と音が挿入されたりするところなんかは、おかしいだけじゃなくって、とにかく笑いのセンスのよさを感じさせてくれます。まあ、定番といえば、定番なんだけど、それをとぼけた雰囲気の超キュートなペ・ドゥナが演じるのが、この映画の魅力なんですよ。彼女、そりゃもうとびきりでしょ? イエ〜〜〜〜ス。んで、この彼女のとぼけ具合っていうのが、なんとなーく日本人にもなじみのある、というか、日本の漫画とかアニメとかの影響を多少うけているのだろうからなんだろうけれども、なじみのあるとぼけかたなんですよ。これは、きっとヨーロッパの人なんかにはうまく出せないと思います。彼女、大スターになる予感がします。いや、大スターにはなんないかもしれないが、映画史に残る女優になるような気がする。
 この監督、これで長編デビューなんだって。韓国映画の新時代を感じさせる才能ですな。じつはこの映画、2000年の東京国際映画界で上映されたらしい。そのときのティーチ・インのときの記録がここに残っています。なるほど、この監督、やっぱり漫画がすきらしいですね。んで、その漫画のリズムを取り入れたとのこと。なるほど、この映画のリズムのよさは確かにマンガ的だ。まあ、長編ははじめてってことなので、ストーリーの見せ方なんかは、けっこうオーソドックスなんだけどね。ところどころに挿入される、いかにも漫画的な演出なんかは、ちょっとぶっとんでいて、たいへんおかしゅうございました。とくに、最後のシーンで二人が走っているところで、やっぱり黄色いパーカーを着たジョギング集団がはしりさるところなんかは、視覚的にも聴覚的にも素晴らしいシーンだったと思います。あと、全編に流れているジャズも、なんだかミスマッチで楽しく、少しシュールな日常な映画の雰囲気を心憎くもりあげてくれる。エクセレントです。
 マンガ的な演出や、マンションの警備員がするなが〜いホラ話が語られるとこなんかはちょっと村上春樹なんかの小説にありそうな感じだったりと、なんだか外国映画のような気がしないけれど、こういう軽いノリの日常を舞台にした、シュールでコミカルで苦みのある爽やかな映画っていうのが、日本でとられるっていう気はあんまりしない。井筒さんぐらいかな……。次回作は『暗殺の追憶』なんだって。これはこの映画と違って、韓国でも社会現象的にヒットしたとのこと。しかも、無茶苦茶評価されている……。この監督さん、これから、私たちに新しい時代を見せてくれるみたいですよ。

ビョン・ヨンジェ『息づかい』(字幕=根本理恵)韓国、1999

『美術館の隣の動物園』(出演=シム・ウナ / イ・ソンジェ / アン・ソンギ / ソン・ソンミ)、1998、韓国

 『八月のクリスマス』では文句なく美人でかわいい、まるで女子高生のようなシム・ウナなのに、この映画でもすっぴんで映っていることは多いのに、なんだか髪はぼさぼさで相当だらしない女の子役がまたこれも超キュートなシム・ウナ のシム・ウナによるシム・ウナのためのシム・ウナ鑑賞映画。出だしは面白くてウキウキするけれど、アメリみたいな展開ではなく、いきなり男と女が一室でやりとりをしあって、それもお互いあんまり気がなかったのが、映画のシナリオに共同で取り組むうちにだんだん仲良くなって、というまあコミカルな少年漫画あたりにすごいありそうな筋となる。でもイ・ソンジェがシム・ウナにいろいろと悪態や文句を言うのは面白いし、韓国の一般的な女性観というのもわかる。シム・ウナがだんだんソンジェを好きになって、男の言うことに喜ぶようになるあたりもすごく可愛いい。最後のキスシーンでの表情の変化はやりすぎって気もするけど、あんなに喜びを顔いっぱいに表されたらこっちもニコニコするしかないです。
 題はきっと『動物園のとなりの美術館』にするべきだし、英題はそうなっています。題名の訳を間違えるなんて、なんかすごい致命的なミスのような気がするんだけど……。

チャン・ギルス、銀馬将軍は来なかった(91)

シン・サンオク

チャン・ソヌ、『LIES』

パク・ジョンウォン(朴鐘元)、九老アリラン(89)、われらの歪んだ英雄(92)、永遠なる帝国(95)

ペ・ヨンギュン、達磨はなぜ東へ行ったのか(89)、黒くても土に、白くても百姓(95)

ペ・チャンホ、鯨とり(84)、ディープ・ブルー・ナイト(84)、神さまこんにちは(87)、

イ・チャンホ、馬鹿宣言(83)、寡婦の舞(83)、旅人は休まない(87)、ミョンジャ・明子・ソーニャ(92)

イム・グォンテク、曼陀羅(81)、キルソドム(85)、アダダ(87)、ハラギャティ(88)、風の丘を越えて(93)

キム・ギヨン、下女、

チュン・チャンワ、『』

キム・キドク、『鰐』1996、『野生動物保護区域』1997、『悪い女 青い門』1998、『魚と寝る女』2000、『実際状況』2001、『受取人不明』、『悪い男』2001、『コースト・ガード』2002、『春夏秋冬そして春』2003、『サマリア』2004、『スリー・アイアン』2004

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