不感症に決別するために

 

「文字を習った後、まるで生まれてはじめて見たかのように夕陽が美しく見えました」。

戦時中文字を教わらず、還暦を過ぎて初めて識字学校に通って文字を覚えた人の文章だったと思う。中学生のときのある日の夕方、担任の先生に連れられて識字学校を訪問したことがあった。自由参加だったのになぜ僕が行こうと思ったのかというと、僕の好きな子が行こうとしていたからだったのだけど、そこのおばあさんたちが生き生きとして楽しそうなことといったらなかった。

そのときは、文字を知ることの喜びの表現として紹介されていたような気がするけれど、今でもこの一行を覚えているのは(僕の記憶は四次元ポケット)、言葉・文字を知らなければ「美しい夕陽」を知ることはできないのだ、という事実が人と言葉について大切な事を教えてくれたからだ。

きっとこのおばあさんはその日、識字学校で「夕陽」という文字を習ったのだろう、自分で書いてみたのだろう、そして帰りにたまたま夕陽が眼にとびこんできたのだろう。他に「紅」や「太陽」、「夕暮れ」などの文字を習っていたかもしれないが、そのとき、青春を戦争で奪われたおばあさんは、今まで何気なく見ていた夕陽をはじめて本当に「見る」ことができた。なぜなら、文字・言葉を習うことは、見ることを習うことだから。文字・言葉は認識そのものだから。

それまで目には見えていたはずなのに感じていなかった光景、耳には聞こえていたはずなのにただ流れていっただけの音が、突然ふくよかな広がりとなってからだの中を流れ出す。文字を習っていく過程で、そのおばあさんはきっとそんなふうに感じたはずだ。

それまでおばあさんは不感症だったと言ってもいい。夕陽や星空、月などに感動するのが人間だけなのは(オーロラには動物も感動するのかしら、獣がオーロラとともにたくさん現れることもあるらしい)、人が言葉と文字を知っているからだ。見ることを知っているからだ。

そして人だけが読書する。ホモ・ドクショスルンス。人は読書をする生き物である。つまり読書をしない私の父は人ではなく(ホモ・ワーカホリックス)日頃その不感症ぶりをいかんなく発揮しているのだが、まる一日の間にこりともせず生きていくことや、B級ハリウッド映画(今やハリウッド映画はB級どころかC級ばかり)と大河ドラマをテレビで見ることのほかはたいして面白いと思わず生きていくことは、退屈な人生以外の何物でもない。

 

筑波文学の会は、当初(五年前)退屈な大学生活を追放しようという目的で作られたのは大学のどこのサークルとも同じだけれども、文学とのつきあいはこれからの長い人生から退屈を追放する、という点で他のサークルとは違うと言えるでしょう。おばあさんを感動させた夕陽のように読書は生を豊かにするのです。読書によって「たった一杯の酒に酔いしれること」ができます。おいしいものをたっぷり味わえるようになります。文学の会の連中みんな(?)が酒をおいしく飲むことを知っているのは、決して偶然ではないのです。

(河口)