部落教育について

 小・中・高と私も道徳などの時間で部落差別問題についての教育を受けてきた。なかでも強烈に覚えているのは、高校生の時、確かいろんな問題を取りあげて議論するというような授業の時間があって、そのとき、部落出身の人(女の子だった)が自ら部落問題についてしゃべったときだった。もちろん私はその子が部落出身だったことも知らなかったわけで、まずそれを明らかにすることが衝撃だった。その子は、部落差別についていろいろ身近な実例をあげてしゃべって、それについて自分がどんなにくやしい思いをしているか涙ぐみながら語ったものだった。一つだけ覚えているのは、もともと部落人が住んでいた土地が、そこだけ地価が低くなっているという話をくやしそうにしゃべっていたことで、そんなことまで悔しく思うのかと感じたものだった。いまにして思えば、その土地はなんか町の真ん中にあって、そこだけ地価が低いという話だったのだけれど、部落の土地がそんなふうにあるものか、疑問に思わないこともない。まあそんなことはどうでもいいけれど。
 で、さらに衝撃だったのは、なんとその子に反論しようとする人間(男だった)が一人いて、その内容とその子の反応だった。彼が言うには、自分の知り合いで部落の人に暴力を受けたことがある、とかいうものだった。彼がそれを理由に私は部落差別を続けると宣言したわけではないのだけれど、部落の子の涙ながらの訴えを前にして、それにはまったく心を動かされなかったという表情で憮然と発言したことがすさまじく強烈だった。そして、その発言に対して、その部落の子が嗚咽したことも強烈に覚えている。まあ、人生においてこんなやりとりを生で見るということはきっともうないだろう。
 さらに覚えているのは、そうした一連の話や議論ややりとり(というか、ほとんど侮辱に近いものだったけれど)のあとで、先生が全員に感想を言わせたことだった。そんな強烈なやりとりをまえにしてどんな感想を言えばいいというのか。ここでさらに強烈だったのは、そこで何人もの人が自分は部落出身だけれど、いままでそんなに考えたことがなかった、みたいな発言をしたことだった。もちろん私はその人たちが部落出身だったということも知らなかった。そして、そんな告白を強いるということ、それもとても残酷なことだったのではないかと思わないではいられないからだ。このことは、実はずっと気になっていた問題だ。
 いまにして思えば、こうした諸々の事態を発生させてしまった先生の進め方が、みんなに感想を求めたという態度によく表れている。なぜなら、全員に感想を求めるということ、これはもうほとんど思想検査をしているようなものだからだ。おそらく、そこで全員に感想を求める時点で、この人は先生失格だった。そしてもし今の私がその場にいれば、それがいかに不当な行為であるかを言い、先生を責めることだろう。そうしたことがらについては一人一人が考えればいいことであって、それを公の場で発言せよと強制するのは、もうこれはプライバシーの侵害のようなものだからだ。思想信条の自由をその時点で犯したことになる。その部落出身の人の話を聞いても、それについてどう思うかは各人の自由であって、そこに教育が踏み込むべきではない。そして、こと部落問題については、この自由を犯すことがまるで義務であるかのように考えられ、教育が実践されている。おそらくこの場にいた先生も、その流れに乗っ取ってやろうとしただけなのだろう。しかしの結果は、各人にカミングアウトを半ば強要するものとなってしまった。
 もちろん、私は部落差別を肯定しているわけではない。しかし、それを肯定する人間もいるということ、それは思想信条の自由であるということ、これは部落差別を許せないという以前の、基本的人権にかかわる事柄だ。もし、部落差別を許せないのだとしたら、その人物を一人一人殺していけば、部落差別をなくすことができるだろう……。いや、こんなことさえ理解しない人を私はここで相手にする暇はないので、この話題についてはこれだけにしておく。
 さて、最初の発言者の後、みんなに感想を強要すること、おそらくこれこそ最も暴力的なことだったが、しかしそもそも、部落出身の人自身に話をさせるという時点で間違っていたと私は思う。このように、一人に代表させて話をさせれば、それはあまりに個人的な話になってしまう。それに異論を言う人もでてくるのは当然で、そしてその場合、話は一般的なものではないのだから、あまりにパーソナルに受け止められてしまう。私は、ずっとこの、彼女に対して反論した男がもともと嫌いだったし、この一件で人生最悪の人物の一人になっているのだけれど、彼だけが悪いと考えていた。しかし、そもそもこうしたあまりに個人的な感情をもちだして、部落問題について教育しようというのは、あまりに危険で、そして不適切だったと言える。もちろん、私自身としては彼女の生を話を聞くことも、そしてその後の一連のやりとりも忘れることは決してないほど覚えているけれど、しかし当事者にとってはあまりに過酷なやりとりだった。
 そこにいた教師は悪い人物ではなく、むしろ好きな先生のほうだったが、しかしこれは失態といえるものだった。おそらく、この一件は私の知らないところで問題となっていたのだろう。この教師は次年度は担任ではなく、副担任に格下げになったのだから。そして、いまになって思い出せば、この一件の後この教師は、授業中にあまりに異様にイライラしていたようにも思える。決して出来のわるいクラスではなかったのだけれど。おそらく、保護者から何か言われて、問題になっていたのではないか、などと想像してしまう。今となっては確認しようもないけれども。
 もちろん、学校で行われている部落教育そのもののあり方に問題がある。生まれで人を差別するのはよくない、みたいなあまりに一般的な話だけに終わって、部落問題の実体については何も教わらないからだ。結婚の時、部落出身というだけでゆるされない、みたいなことしか教えられない。そしてそこで行われいるのはまぎれもない思想教育であって、その問題を自分で考える思考力を育てられているわけでは決してない。こうしたやり方は、いくら相手が純真な小学生だからといって、あまり成果をあげるものではない。実際、私の周囲の小学生たちは、こんな教育はばかばかしいと感じていた。私は、この問題、部落差別の問題にではなく、部落教育の問題について態度を決めかねていた。周囲の人のように、これをばかばかしいものだと思うことには抵抗があった。これは、おそらく教育の問題と、差別そのものの問題を区別できていなかったのだろう。しかし今は、部落差別教育は思想教育であり、教育のあり方として間違っていると断言できる。教育はそのようなものであってはならない。教育は、自分で「なぜ」と問うための関心をうえつけ、そしてその問いを自分で考えるための方法を教えるものでなければならないからだ。いまの部落教育は思想教育でしかなく、そのうさんくささは小学生でさえ気づくことができる程度のものだ。実際、この教育がほんとに成果をあげているかどうかは疑わしい。まあしかし、一般的な教育論はここではおいておこう。
 もっとも、この教育、それは部落の人たちから政治的に要請されている形でもあるのだろう。そして、教育として、部落にかかわるあまりにさまざまな問題を子どもに教えること、それは逆効果にもなりかねない、そのことを恐れていると見当がつく。しかし、そのような刷り込み型の教育では、実際に差別の現場や、部落の人と接したときには何の役にも立たない。自分で考えたものでないことなど、ある一つの事実や、ほかの人の意見を聞くことで、すぐに覆るものだから。実際、世の中には差別があるのであり、それに負けないような考えをもたせるには、お涙頂戴系の話ばかり聞かせるだけではとても無理だ。では、どうすべきなのか。
 部落問題について書かれたものはいまいくらでもある。そして、そうした資料をつかえばいいだけなのだ。マンガでさえ『カムイ伝』のような傑作がある。教えるべきなのは、なぜ差別があり、それが必要とされていたのか。そして、なぜそれがつづくのか。あるいは、階級とは何か、なぜ生まれるのか、ということにまで入り込んでも構わない。差別をのりこえるのは、思想ではなく、知性である。それをさまざまな角度から認識し、判断する能力、それだけが差別から自分と距離をとって考えることができる。差別はよい、悪い、いやだ、みたいな感情的なレベルの反応は、すぐにどちらにでも変わりうるものである。しかし、知性というのは一度身に付いたら一生ものだ。おそらく、この知性に対する関心、それは学校教育すべてに行き渡っている。知性がない、とは、知性がいかなるものであるかを知らない、ということだ。そして、部落教育を推し進めている連中は、知性がないのだ。
 上で問題にしたその教師、これもやはり、部落問題についての教育がなにを必要としているのかわかっていなかったのだろう。この問題では日本全体が思考停止に陥っているのだから、それも無理はない。しかし、ある人の個人的な感情を持ち出すことで各人の思想がかわるなどと思っていたのなら、それは部落問題とはかかわりのない次元で愚かであるだろう。そして、彼がそう考えていたことは、その教室全員の意見をもとめたことからも明確だ。彼は二重の過ちを犯した。そしてこの過ちは、まさに部落教育の抱える問題の純粋な結果だったとも言える。
 必要なのは、部落問題に対する歴史的、政治的、社会的なもろもろの事実を教えることである。たとえば、戦後になっても、学校ではテストの答案などに、「平民、そのほか」みたいな○をつける項目があって、そこで部落の人たちは平民と○をつけられなかったこと、こんなことは授業ではまったく教えられていない。つまり、差別の実際の社会的な事実については何も教えられていないも同然だったのだ。しかし、こうしたもろもろの事実を教えること、それがすでに差別だとみなされる風潮がある。あるいは、部落民についての歴史的な考察をするだけで差別だと思われてしまうという混乱が起きている。これはまさに教育の生み出したみじめな風潮だ。つまり、はなからその人間を差別している側か、そうでないかに徹底して分類してみようという風潮が広まっている。そして、部落民とは差別されてきた人たちで、それはたんに「社会の中で」差別されきたというだけでなく、社会から隔絶され、排除されてきた人たちだった、というような分析を加えるだけで差別している人間だと思われてしまう。ここにはほとんど思考停止がある。これでは、この問題自体がほとんど不可触民みたいなものだ。たとえば次のようなあるホームページの文書を見てみよう。

引用はじめ

上杉は、被差別部落の人びとの中に「賤民」を見いだしても、「人間」を見いだすことができないからです。

上杉は、『これでわかった!部落の歴史』の中で、このように語ります。

「部落の女性が娼妓なんかに売られることがあったかどうか・・・たしかに、明治以降でしたら、それはよくありました。しかし、江戸時代には厳しく禁止されていたのです。・・・したがって、男性が吉原へ遊びに行って部落の女性と出会うとういことはありえなかったのです。もしそのような事実が発覚すれば、たいへん厳しい処罰が加えられました。つまり、一般社会の最底辺にいた遊女たちは、どんなに落ちぶれたとはいえ、町人や百姓の娘さん、あるいは武士の娘さんであって、そこに部落の女性が入っていくことは絶対にありえないことでした」。

上杉は、「部落」と「娼妓」、近世的な表現を使えば、「穢多」と「遊女」の関係について、何がいいたいのでしょうか。判然としません。というより、上杉聡の「賤民史観」に毒された差別性が明らかにされていきます。

引用終わり

 この書き手は、そもそも歴史研究というものがどういうものかさえ理解していない。一般的な歴史研究において「そこで生きていた人間」のようなものが話題にならないのは当然だ。そしてこれはまさに部落の歴史についての本であり、それ以外のものではない。そして、この著者の上の文章もきわめて明快なものだ。遊女は社会の底辺にいたが、部落の人は社会の外にいた、それだけを言っているに過ぎない。これは差別を認めていることでもないし、差別しているわけでもない。単なる歴史的事実の認識でしかない。もっとも、このホームページの書き手は、歴史的事実の認識が十分ではないから、誤解したのかもしれない。しかし、ここにはあまりに、それこそ「差別的」な人間の見方があらわれている。
 差別教育は、人の中に差別性を見いだしてはそれを指摘する、それだけの教育になっている。みんな差別をしないように、ではなく、差別する心をもたないように、になってしまっている。これは戦前の思想教育なんかと同じたぐいのものだ。そして、ある意味ではこの教育の成果というのはめざましいものがあると言えるだろう。ほんとにどうしようもない。上の書き手は、その成果の忠実な体現者だろう。おそらく、私のこのページにも掲示板などがあったら、こうした輩からの中傷がたくさん投稿されるはずだ。そうした連中に欠けているのは知性の欠如、あるいは知性への無知だ。そしてそれは、もはや何を学ぶことも不可能であるということだろう。おっと、これはさすがに差別的な発言かもしれん。無視してくれて結構。
 ところで、『カムイ伝』が面白いのは、徹底的に排除された存在としての部落民が描かれていることで、その差別のありようは非常に興味深い。とにかく、生活圏、生活の道具、そしてもちろん一族として、徹底的に区別され、排除される。彼らは同じ人間ではないとさえされている。そして、そうした思考のあったこと自体に私たちは驚くのであり、そのことを知らなければならない。というのも、それは私たちが部落差別と言うことで想像していた、人間として差別している、といったような生やさしいものではなく、人間ではないと見ている、という差別のあり方がそこにはあるからだ。そして、その差別によって彼らが追いやられている生活や感情というものはまさに想像を絶するようなものだ。そうした状況を知ることこそ、おそらく差別に対する再考となりえるものだと私は思うのだが…… そしてそうした観点に立てば、おそらく単なる差別の歴史的研究というようなものよりも、小説やマンガに描かれるような生きた人々の状況を示される方が、差別問題には効果があるかもしれない。まあ、人によってそれもわからないけれども。
 しかし、そうした激烈な事実を教えることはあまりに教育上のもんだいがあると考えるだろうか。しかしそれではあまりに生易しい。たとえばドイツの学校で、アウシュビッツについて教えないということがあるだろうか。それはありえない。なぜならそれを教えることが国の義務とされているからだ。そして、同和教育が義務教育のひとつであるなら、まさにその想像を絶する事実を教えなければならないのだ。部落民体験実習みたいなものでもよい。絶大な効果を挙げることうけあいである。もちろん、差別する側にはほんとに普段から差別している人間がなってもらう。ああ、考えただけでわくわくするなあそういうの。腐った牛を夜中にみんなで引っ張って帰って、それを切ってわけて食べたり道具を作ったりするところまでもちろんやらせる。平民から石をなげられるということも体験する。

 しかし、そうした生活はいくらか想像がつくのだが、わからないのは、歴史的な差別の実態だ。穢多や非人は平民たちから差別されていたはずだが、それはどのような差別だったのか。これは解釈がわかれるところかもしれない。非人と穢多との関係もよくわからない。しかし一つ確からしいのは、穢多はむしろ平民、とくに農民と生活上のかかわりが日常的にあったことだ。そして、それだけに余計に徹底的に差別されていたのではないかということだ。江戸時代の差別構造というのはすさまじいものだ ったに違いない。そして、実はこの構造というのは、いまの日本でも根付いている。

 日本という社会はさまざまな階層が分断した社会である、いや、そうした孤立した共同体の総称でしかない。その階層どうしのあいだには激しい嫌悪感がある。実際、どうだろう。いまの日本でも、自分よりいい収入をえているほかの職業集団にたいして、ひたすらな妬みだけを抱いているのが日本人ではないか。たとえば教師がストを起こすとしたら、一般の人はどう思うだろうか。公務員みたいな安定した職に就いているのに、ストをするなんてとか、自分たちだってそんなことしたら危険なのに、なんでやつらだけそんな権利があるんだとか思うのではないか。そして実際、公務員にはストをする資格がない。そもそも、そうした資格を奪われているということ自体。あまりに不当で異常な事態なのだけれど、そうした意識さえない。このように、未だに日本では差別と嫌悪の構造がしっかりと根付いたままだ。これとフランスみたいな国とを比べてみるとその暗さがよく分かる。

 私は、江戸を始めた徳川が最高の悪人なのだと思っていた。こういう構造を作った張本人だと思っていたが、しかし彼はもともとあったこうした構造を政権の安定にうまく利用しただけだろう。おかげで、住人同士、藩同士で牽制し、争い合うことで徳川家は保たれるというようになっていた。おそらく、差別制度の頂点には天皇制があるという議論は正しくない。それは頂点を必要とするものではなく、むしろ相互的なものなのだ。一方が他方を差別するだけではなく、お互いが互いに嫌悪し合うという構図がある。このことを抜きに、差別がわるいうんぬん言ってもどうしようもない。なぜなら、その嫌悪感こそ、差別を存続させているものなのだから。もはやこれは、時の権力者が与えた制度ではなく、日本社会そのものの根っこにある構造なのだ。できれば、そこまで踏み込んだ議論がぜひほしいところである。ま、こんなの、いまはやりの愛国教育とまったく相容れないものなので、ぜったい無理だろうけれど。

 私が高校の時にかいま見たのも、この構造だった。差別する側は、確かにある事実にもとづいて嫌悪感をもち、そしてそれを集団にむける(発言した嫌な男)。それを向けられた集団の方もまた、やはり嫌悪する側の人間を嫌悪するだろう(そこで反論された人、あるいは私)。しかしこの構造を保ったまま、あなたはどちらの側ですかと問うていくいまのやり方では、絶対にこれは解決されないのはあたりまえである。一方の側に全部とりこんでしまえばいいという話ではないのだ。おっと、いま括弧の中に、「あるいは私」と書いたことで、これを読む人は私のことを「あなたは差別される側なのか」とちらと思いましたね。しかし、それはどうでもいいのである。そして、どうでもよくなければならない。問題は、この構図を生み出す力そのものに批判する力をもつこと、これだからだ。

 しかし、こうした議論はそもそも好まれない。それころか、こういうことを言うこと自体が差別思想をもっている証拠だと言われかねない。なぜか。つまり、差別には歴史的な根拠があり、人々の生活や思想に基づいたものだった、ということ、このことを主張するだけで差別主義者だと思われるからだ。こうした批判の根底には、差別などすぐ消えてなくなるはずだという非常にお気楽な発想があるのだろう。しかし、賤民差別は世界各地にあるし、それも各地の文化と切り離せない形である。それはある点では人々の実感や信仰心に基づいたものだった。こんなことはすぐに考えれば分かることで、たとえば自分の結婚式に、死刑執行人を職業としている人物が、まさに死刑を執行した直後に会場にあらわれたらどうだろうか。それを喜べる人はおそらくほとんどいないはずだ。あるいは、デートする相手が、とさつ場で働いていて、牛や豚の血を服や手につけたまま遊園地にあらわれたらどう思うか。

 ここで大切なのは、それを嫌だと思う気持ちと、それに携わっている人々を蔑む気持ちは、つながっているかもしれないが、やはり別のものだという点だ。ここで実感と文化を区別しなければならない。前者は実感に基づき、後者は文化に基づくだろう。ある種の実感に基づき、それに携わる人々を排除する思想、それは文化の作用だ。その因習的な考えを打破するのは、やはりまた思考なのだ。そしてそれ以外にはない。

 どちらにせよ、差別することも、あるいはある人の思考に常に差別を見いだす考えも、どちらもきちんとした思考の訓練を受けていないことが原因なのだろう。そして、このようにさまざまなことがらを自分で区分して考えるということは、決して義務教育では教わらない。そして、同和問題にまつわるさまざまな事柄を自分で区分して考えていくこと、これこそまさに思考を鍛えるいい問題だと思うのだが、どうだろうか。こうしたすぐさま人の批判に直面せざるをえない事柄に接することは、真剣に考えないといけないという自覚を促すはずだ。