チャ−ルズ・ブコウスキ−『くそったれ!少年時代』
中川五郎訳(河出書房新社)    

ブコウスキ−には破壊力がある。彼の作品を勧められた人は、侮辱されたと憤慨し、本を火の中に投げ込み、PTA指定の禁止図書にしてやりたいと思うかもしれない、そんな破壊力だ。人に勧めるには勇気のいる作家だ。だけど私は、ブコウスキ−には人の生涯を変えてしまうような破壊力もある、と高らかに言いたい。そんな作家が、文学の概念なんて吹き飛ばしてしまうのにわけはない。そう、ブコウスキ−にしびれた奴は間違いなく何かが吹き飛ばされたようなショックを受けたはずだ。

この小説は、イカれた訳の分からない会話や下品な言葉で満ちている。主人公とその友人との奇妙な会話は、互いにずれているのに異様なノリがある。地の文も奇妙だ。まるで思いついたことを適当に書いているような文体だ。筋も変だ。一見すると、ばらばらにエピソ−ドがまき散らされているような印象を受ける。しかし、最後まで一気に読ませるパワ−がある。このパワ−の質が、今までの文学とは決定的に違うのではないかと私はにらんでいる。  

文体が全く新しいのだ。と言い切るだけの文学的教養は私にはないが、新しいに違いない。なんせ、全く馬鹿げているのだ。くだらないのだ。意味なんてない。それに悪文だ。文学なんて否定するかのように、今までのフォ−マットで書いていない。例えば、文章に論理性が欠けている。頭で書かず、体で書いているようだ。読み手の頭を通り越して、生理に直接響いてくる。読者は共感するか、拒否するかどちらかしかない。これは確かに言葉の暴力だ。  

だがブコウスキ−は、なぜばかばかしい文章を書くことに耐えられるのか。むなしくならないのだろうか。それとも自分が書く文がおもしろいことに自信を持っているのだろうか。私はそうは思わない。彼はくだらなくないものなんてないと信じているのだ。それはこの作品に流れる「諦観」と言ってもよい彼のものの見方から分かる。  

この作品では、主人公と、語る「私」と乖離している。「私」が主人公を語るとき、その語りの表情に何か寂しいものがよぎる。主人公に決定的な地位を与えられない自分自身の自信の無さか、そうしないことには耐えられない孤独のなせることなのか。自分を無化してしまおうとする意志と、それでも捨てられない自分への愛着と、そんな「私」の二面性がその語りを魅力的なものにしているのだ。自分の人生を「糞みたいなもの」と突き放しながらも、肯定しようとする生の力、一言で言えば、これがこの作品の魅力なのだ。  

形而上学や、洗練された会話、周到なプロットや含蓄深い言い回しなど必要ない。ただ生きることへの執拗な執着さえあればいいのだ。と言わんばかりの、この作品が文学に与えた影響はどんなものだっただろうか。大部分では完全に無視されただろう。それが当然だと私は思う。  

ブコウスキ−は、一度アルコ−ルに溺れて死にかけている。死んだところから、彼は書き始めたのだ。死のふちから彼は書いている。地下からとらえた生。彼は社会の底辺から世界を見、生命の底辺から人生を見ている。彼のほかの作品で、よく賭博師や売春婦が出てくるのは必然的と言える。一文無しで街を歩くとはどんなことか、彼にはそれが分かっている。  

映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」でサントラを手がけたトム・ウェイツという音楽家を私は思い出す。彼もブコウスキ−と同じようにアンダ−グラウンドな芸術家だ。酒と女とブル−スと。この二人には何か無視できない共通性がある。真っ当な生活なんて糞くらえ、青春や高尚な芸術も糞くらえだ、といったニヒリスティックな世界観と、自分のスタイルへの愛着。一部の熱烈なファンを持つことも同じだ。彼らのファンたちも、自分のスタイルに愛着を持っている人間であることは間違いないだろう。  

地下にもぐる文学。文学は、自分の生活スタイルに合った作品を求める人たちの多様な要求に答えるために、ますますアンダ−グラウンド性を強めていくのだろうか。人々は自分が主人公になることを望み、自分のことが語られることを望む。ブコウスキ−がうけたのは、彼が描いたような人間の様相が、今まで語られてこなかったからだ。ある人々は彼の作品の中に、初めて自分を見いだしたのだろう。  

だが、これからもそのほかの多くの人たちにブコウスキ−は否定され、けなされるだろう。実際くだらない作品も少なくない。とはいえ、間違いなくブコウスキ−にはほかの作家には決してない独特の魅力がある。無添加の乾いた明るさ。単純で予測不可能な人間の魅力。そしてこの作品ほど、人の少年時代をまざまざと思い起こさせる作品もほかにないだろう。それは、彼の人間の皮を剥ぐような率直な文章が、登場人物たちの息吹を読者に伝えるからだ。そして読み終えた後、何か不思議な力がわいてくるのをあなたは感じるだろう。

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