『消息』(1957)
吉野弘(1926.1-)

I was born


 確か 英語を習い初めて間もない頃だ。


 或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと 青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。


 女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から目を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想しそれがやがて 世に生まれ出ることの不思議さに打たれていた。


 女はゆき過ぎた。


 少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

−やっぱり I was born なんだね−

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

−I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせ られるんだ。自分の意志ではないんだね−

 その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の目にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。


 父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。

蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね−

 僕は父を見た。父は続けた。

−友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 喉咽もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ、お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは−。


 父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裏に灼きついたものがあった。

−ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の
肉体−。

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