『六十二のソネット』(1953東京創元社)
谷川俊太郎(1931.12-)


14 野にて(抜粋)

人は正しく歌えない
無を語る言葉はなく
すべてを語る言葉もない


30(抜粋)

私は言葉を休ませない
時折言葉は自ら恥じ
私の中で死のうとする
その時私は愛している

何も喋らないものたちの間で
人だけが饒舌だ
しかも陽も樹も雲も
自らの美貌に気づきもしない


37

私は私の中へ帰つてゆく
誰もいない
何処から来たのか?
私の生まれは限りない

私は光のように偏在したい
だがそれは不遜なねがいなのだ
私の愛はいつも歌のように捨てられる
小さな風になることさえかなわずに

生き続けていると
やがて愛に気づく
郷愁のように送り所のない愛に……

人はそれを費つてしまわねばならない
歌にして 汗にして
あるいはもつと違つた形の愛にして


41

空の青さをみつめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通つてきた明るさは
もはや空へは帰つてゆかない

陽は絶えず豪華に捨てている
夜になつても私達は拾うのに忙しい
人はすべていやしい生れなので
樹のように豊かに休むことがない

窓があふれたものを切りとつている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる

在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻つてくるだろう


48(抜粋)

私たちは鏡をもちすぎている
そのためいつもうつされた生ばかりを覗いている

やがて鏡もない死の中で
私たちは自らに気づかずにすむだろう
私たちは世界と一体になれるだろう……

しかし今日雨の街に生者たちは生きるのに忙しい
夕刊には自殺者の記事がある
私たちは死をとりかこむ遠さにすぎない


49(抜粋)

心を名づけることもなしに
ひとの噤んだ口に触れて私の知ることを
大きな沈黙がさらつてゆく

しかしその時私もその沈黙なのだ
そして私も樹のように
世界の愛をうばつている


62(抜粋)

……私はひとを呼ぶ
すると世界がふり向く
そして私がいなくなる


『空の青さをみつめていると 谷川俊太郎詩集1』大岡信解説、角川文庫、1993年より。

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