『あなたに』(1960東京創元社)
谷川俊太郎(1931.12-)


沈黙

愛しあつている二人は
黙つたまま抱きあう
愛はいつも愛の言葉よりも
小さすぎるか 稀には
大きすぎるので
愛し合つている二人は
正確にかつ精密に
愛しあうために
黙つたまま抱きあう
黙つていれば
青空は友
小石も友
裸の足裏についた
部屋の埃が
敷布をよごして
夜はゆつくりと
すべてを無名にしてゆく
空は無名
部屋は無名
世界は無名
うずくまる二人は無名
ただ神だけが
その最初の名の重さ故に
ぽとりと
やもりのように
二人の間におちてくる


問いと答え

互いに互いの問いとなり
決して答にはゆきつけぬまま
やがて私たちの言葉は
ひとりひとりの心の井戸で溺れ死ぬ
世界が問いである時
答えるのは私だけ
私が問いである時
答えるのは世界だけ
詩は遂に血にすぎない
寂寥のうちに星々はめぐり続け
対話はただひとりの私の中で
いつまでも黙つたまま
どうしようもなく熟してゆくだろう


もし言葉が

黙つていた方がいいのだ
もし言葉が
一つの小石の沈黙を
忘れている位なら
その沈黙の
友情と敵意とを
慣れた舌で
ごたまぜにする位なら

黙つていた方がいいのだ
一つの言葉の中に
戦いを見ぬ位なら
祭りとそして
死を聞かぬ位なら

黙つていた方がいいのだ
もし言葉が
言葉を超えたものに
自らを捧げぬ位なら
常により深い静けさのために
歌おうとせぬ位なら


黙っているものたち(抜粋)

すべての黙っているものたちと共に
言葉よ
ただそこにあれ
決して
喋るな