谷川俊太郎

 

受験生だった頃、国語の問題で「鳥羽」が紹介されていたのを読みました。そこでは「鳥羽」が少し引用された後、こう続いていました。

後に谷川は、この「鳥羽」を書いた時期を「自分なりに、ある新しい世界が開けた時期」だったと述懐している。彼が十八歳の若さで『二十億光年の孤独』をひっさげて、さっそうと詩檀に登場してから、すでに十年以上たっていた。そのころ、彼は自分というものにこだわり、「ことばは信じられないとか、ことばよりか、じっさいの行動のほうが大事だとか」いうモヤモヤした思いにとらわれていたのだという。それが、子供のうたや言葉遊び歌を試みたりしているうちに、「なんか自分というものからわりと解放されて、むしろ日本語というもののなかに入っていこうっていう傾向が出てきた」。

自分というものの貧しさと言葉の世界の奥深い豊かさとが対照的に見えてくる。「結局言葉を信じる意外に道はない」とふっきれたとき、谷川に新しい世界が開けたのです。「鳥羽」にはその間の経過(『六十二のソネット』『あなたに』など)が圧縮した形で示されているように見えます。