入澤康夫  (1931〜)

 

「思ったこと、感じたことを、ありのままに書くのが詩だ」とか「印象をそのまま書きとめるべきだ」とかつねづね教えられていたとある中・高の女生徒たちの前で、入澤康夫が「感じをありのままに」とか「印象をそのままに」とかいうことがけっしてあり得ない、詩は表現ではない、云々、と語ったところ、彼女らに大顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがあったそうだ。

彼にしてみれば、詩とは、「詩」そのものについての絶え間ない問いかけであり、語る者をつねに裏切ってしまう言葉の不実さへの「怒り」なのだ。そして、歌とは、言葉の物質性そのものに他ならない。

入澤康夫は「詩についての思いこみ」を、その作品によって破壊し続けている。「詩」と「詩でないもの」との境界に彼の作品はあり、一詩集ごとに、まるで別の詩人が書いたかのように変化する。

 

失題詩篇

(処女詩集『倖せ それとも不倖せ』'55より)

未確認飛行物体

(『春の散歩』'82より)

『ランゲルハンス氏の島』'62より

その島の名士の一人、ランゲルハンス氏の執事だというこのあぶら切った男はていねいに来意を述べた。十七になる令嬢に数学を教えてほしい。これがランゲルハンス氏の切なる望みであり、自分は承諾が得られればこのまま島へ案内する気で来たという。しばらく考えさせてくれといったが、実は何も考えることなどありはしない。それに報酬も悪くない。ちょっと考えるふりをしてから「よろしい。参ることにしましょう」とそう言った時、僕はいきなりみぞおちのあたりにはげしい痛みを感じて意識を失った。そして気がついて見ると立派なベットの上にねかされていたのである。広い部屋だった。見まわすと右手のやや暗い一隅に大きな机と書棚があるのが判った。それからその机の前には一脚のがんじょうなアームチェアがあり、それに一人の栗色の髪の少女が身うごきもできぬほどに太いロープでくくりつくられていた、口さえタオルで固くおおわれて。僕はこの可哀そうな有様を見て、まだ不確かな足をふみしめてその傍にかけより、苦心してこぶこぶのロープの結び目をとき、タオルをはずしたのだが、……それがランゲルハンス氏の令嬢であった。

 

少女をこんな目に合わせたのは前任者の家庭教師である。彼が島を去ってから一週間に近い間、少女はそのまま放置されていた。家族の誰一人として教育に対して口だしのできる者がいなかったからである。事ほどさように教育は重視されていた。自由になった少女は思ったより快活だった。眼をきらきら光らせながら、はじめは僕の問いかけに言葉少なに答えていたが、やがて次第になれて来て、問いもしないことまでとめどもなくしゃべり始めた。僕はただ合づちを打っておればよかったのである。歯切れのよい言葉のリズミカルなせせらぎに身をひたしながら沢山のことを僕は知った。ランゲルハンス氏夫人がまだ二十八歳で、彼女の情人が釣具屋の主人であるということ、この主人は美男とは言えないが、男ざかりの四十歳であることなども。それから少女はふっと口をつぐんで、あらためて僕の顔にびっくりしたような眼を向けた。「あら、あなたはどなたかしら」「新しく来た家庭教師です」「やっぱりそうなのね。あ、でも、それならどうして私の綱をおときになったの」「おそらく教育方針の相違でしょうね」と僕は言った。

 

ランゲルハンス氏の広い邸内を僕は自由に見てまわることができた。少女は笑ったり歌ったりしながらしながら後について来た。ランゲルハンス氏の骨董に関する趣味は悪くないようだった。ある部屋のマントルピースに僕は額に入れた一枚の版画をみつけて、おやと思った。絵の良し悪しでなく、そこに表されているものが僕の注意をひいたのだ。それは絶滅したと思われていた鳥ドドを描いたものだった。「ここにはこの鳥が今でも棲んでいるのですか?」「あら、鳥ですって。これお父さまの肖像よ。だいいち、これさかさまになってるわ」少女は額をおき直してくれたのだが、それはやはりドドの絵のさかさまになったものとしか思えなかった。

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