『われらを生かしめる者はどこか』(1986青土社)
稲川方人(1949-)

2(抜粋)

(馬のいる駅は)

白棚線の入口でバスの切符を買って、
沼を見に行くのですが、
馬のいる駅はまだありますか。
朝鮮のきいさんはいまは赤館山に住んでいて、
沼を見に行くのですが、
馬のいる駅はまだありますか。
東館の駅には弟のいない高杉さんが立っていて、
沼を見に行くのですが、
馬のいる駅はまだありますか。
花屋の隆さんを日暮里の雑踏でみかけました、
沼を見に行くのですが、
馬のいる駅はまだありますか。
成次さんは一時社川に住んでいて、
何度も赤館山のきいさんの話をしました、
知ッテイルデショウガ、アレハボクノ兄デス
沼を見に行くのですが、
馬のいる駅はまだありますか。
あと何年ありますか。


(……年記……)

昭和二十四年、夏
私はとりのこされていく。

昭和三十一年、春
風雪を苦しむ鳩に殺意の石を握りしめる。

昭和三十三年、夏
川の深みに耳を傾け、この世の音階を覚える。

昭和三十三年、同じく
生きるべき月日の多さに驚き、鼻と口をふさぎつづける。

昭和三十四年、春
地の揺れ。泥に立ちすくみ稲妻を見る。

昭和三十五年、秋
線路を渡り、別れていく人に手を振る。

昭和三十五年、冬
鹿!

昭和三十七年、冬
火を絶やさぬよう生きることを習う。八通の手紙を読む。

昭和三十八年、春
憎しみはそれ以外の何にすがたを変えるだろう。

昭和三十九年、夏
海の突堤に眠り、幸福な悲鳴を聞く。

昭和五十九年、春
生きる者たちのささやき。私はとりのこされていく。


(いだく寒さもない)

もう邂逅のあたらしい名はない
尽きぬものもあるのではない
あるべきは、
たたかわずして未知となることばを
愛した、
喪失のあとかただ
けれどもおまえはいのちの誠実さを知らない
しいられたこの世の後悔を知らない
世界を正面に向いて恥らっている
おまえの左右の群像も
もうだれひとり生きるものではない
生涯の心理はふかい憎しみとかわり
わたるべきこころもない
いだく寒さもない
時にひとしく永久の身体もない


(私は来て)

(小菅生から金山へ
なたね油を売りに行き、
行くところがない。
東北新幹線の駅
新白河で降りて、
行くところがない。
巽さんの家に、
南湖球場の球音が聞こえて、
行くところがない。
金山の映画館に、
雪の降る映画を見に行き、
行くところがない。
三森の床屋の鏡に、
一三さんの自転車が走り、
行くところがない。
昭和五十九年三月、
私は来て、
私に行くところがない)


3(抜粋)

(陸のくにを発っていこう)

生マレイデタ土地ヲ持チ、
失ウタメノ血族ヲ持チ、
別れよう!

のぼるがいいか
くだるがいいか
土地の名を消し
人の名を消し
かずかぎりある
かなしみの実がいたまぬうちに
かずかぎりある
月日の満干があせぬうちに
別れよう
別れたるための言葉を言って
すえながく、
すえながく永劫に
陸のくにの
なれの果てを
発っていこう

きょう、傷ついた腹膜のような
生涯の途中
生きるのにあてなく
けれどもなお、
けれどもなお、
われらを生かしめる者は
何処をさまよっているか

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