『ゴヤのファースト・ネームは』(1974青土社)
飯島耕一(1930.2-) 


母国語

外国に半年いたあいだ
詩を書きたいと
一度も思わなかった
わたしはわたしを忘れて
歩きまわっていた
なぜ詩を書かないのかとたずねられて
わたしはいつも答えることができなかった。

日本に帰ってくると
しばらくして
詩を書かずにいられなくなった
わたしには今
ようやく詩を書かずに歩けた
半年間のことがわかる。
わたしは母国語のなかに
また帰ってきたのだ。

母国語ということばのなかには
母と国と言語がある
母と国と言語から切れていたと自分に
言い聞かせた半年間
わたしは傷つくことなく
現実のなかを歩いていた。
わたしには 詩を書く必要は
ほとんどなかった。

四月にパウル・ツェランが
セーヌ川に投身自殺をしたが、
ユダヤ人だったこの詩人のその行為が、
わたしにはわかる気がする。
詩とは悲しいものだ
詩は母国語を正すものだと言われるが
わたしにとってはそうではない
わたしは母国語で日々傷を負う
わたしは毎夜 もう一つの母国語へと
出発しなければならない
それがわたしに詩を書かせ わたしをなおも存在させる。

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