飯島耕一

飯島耕一は「母国語」が含まれた『ゴヤのファーストネームは』を74年に出版。この詩集は、彼が前年まで苦しんでいた抑鬱症からの手探りの快癒を描き、広く感銘を与えた。

外国語では、他人事のようにものを話すことができる。言葉のなかに自分を投影することができないからだ。一時的に母国語から切れていると気安さを覚えるが、それが永続的なものだと話は違う。

旧ルーマニア出身のパウル・ツェランはホロコーストで両親を失い、パリでドイツ語の詩を書いた。


におい

五月の雨の日
西荻窪の駅のホームのベンチに座っていると
隣に一人の若い女が座り
大学の紀要のようなものを
読みはじめる
アメリカの大学の論文で
筆者は女性の名だ
この若い女の名
かもしれない

雨の日のせいか
そのみしらぬ女の
実にあまい体臭が
こちらに ただよってくる
苦しいほどの 女の 肉体の
におい
衿にこまかい水玉のネッカチーフをまいている
レインコートを着ている
人間の女のにおい

ようやく下りの電車が入ってきた
顔はとうとう見ることはできず
別の車輌に乗った
もう二度と会うこともないか

これが東京だ
人生のにおい
論文なんか 読むのはやめたら
という 一語
をささやいてやるべきだった。


母国語

「ジャック・ラカン」は定型詩の試み。彼は定型詩を提唱したが、それは回顧趣味的なものではなく、定型詩の脚韻がユーモアや滑稽さを生むことに注目したからだった。


ジャック・ラカン

(『さえずりきこう』1994年より)

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