André Breton
アンドレ・ブルトン (1896-1966)

むしろ生 Pluot la vie

むしろ生、たとえ色彩はより純粋だとしても厚みのないそれらのプリズムよりも
それらの恐ろしく、冷たい火の車をいつも隠しているこの時間よりもむしろ
それら熟しすぎた石より
むしろこの歯止めがかかっている心のほうが
そのささやく水たまりよりも
そしていちどきに空と大地の中で歌うその白布よりも
わたしの額を完全な虚栄の額とつなげるその結婚の祝福よりも
      むしろ生が

むしろ生、悪魔払いの織物と、
その脱走の傷跡をもった生
むしろ生、むしろわたしの墓の上のこのばら模様
ただ存在するだけの存在である生
そこでは、ある声が そこにいるの と言い、そこでは、別の声が そこにいるの と答え
そこには、ああ、そこにはわたしはほとんどいない
それでも、わたしたちが殺すものの得になることをわたしたちがするときには
      むしろ生を

むしろ生、聖なる幼年時代
幻術師から離れるリボンは、
世界の滑り道のようだ
いくら太陽がただ一つの漂流物でしかなくても、
女のからだが少しでも太陽に似ている限りは無駄
君は夢想する、軌道をすべて見つめながら、
それともただ、君の手という名をもつかわいい嵐に対して目を閉じながら
      むしろ生だと

むしろ生、いくつもの待合室がある生
自分はけっしてそこへ通されはしない知るとき
むしろ生、
つらい仕事によって給仕される、この温泉場よりも
むしろ不都合な、長い生
あまりここちよくない光線のうえ、ここで、本が再び閉じられるとき
また、あそこで、「ウィ」と自由に答えるよいことがよいことであるとき
      むしろ生に

むしろ生、この十分に美しい頭への、
軽蔑の核心のようなもの
頭が呼び、また恐れるその完全性の、解毒剤のようなもの
神の化粧品の生
真っ白なパスポートのような生
ポンタムソンのような小さい町
そして、すべてはすでに言われているかのようなもの
      むしろ生と

(Clair de terreより)


ひまわり(入沢康夫訳)

夏の落ちかかってくる頃に 中央市場を横切った旅の女は
爪先立ちして歩いていた
絶望は空にじつに美しい大きな蝮(まむし)草を転がしており
ハンドバッグにはいっていたのは私の夢 あの気付薬の小壜で
それを嗅いだことのあるのは神様の代母ばかり
無気力が湯気のように「煙草をふかす犬」亭に
ひろがっていた
そこにはいましがた賛成と反対とが入ったばかりだが、
若い女は 奴らには 斜めからでよく見えないのだった
私の相手は硝石の大使夫人だったか
それとも私たちが思想と呼ぶ黒字の上の白い曲線の大使夫人か
無邪気な連中の舞踏会はたけなわだった
角灯はマロニエの樹々の間でゆっくりと火を灯されてゆき
影のない貴婦人が両替橋(ポン・トー・シャンジュ)の上でひざまずいた
安らぎ街(ジ・ル・クール)では消印がもはや同じでなかった
夜ごとの約束の数々がついに果たされるのだった
伝書鳩 救助の接吻は
美しい未知の女の 十全な意味のクレープの下の
突き出た乳房に結ばれていた
パリの真唯中で 一軒の農家が繁盛しており
その窓々は銀河に向かって開いていた
だが不意の到来者のせいで まだだれもそこに住んでいなかった
人も知るとおり不意の到来者は幽霊よりも献身的だ
この女のように泳ぐかと見える者たちもあり
愛の中に 彼らの実質の幾分かが入り
それが彼らを内在化する
私はどのような感覚器官の力にも翻弄されない
とはいえ ある晩 エチエンヌ・マルセルの銅像の近くの
灰の髪毛の中で歌っていた蟋蟀(こおろぎ)が
私にしめし合わせの目くばせをして言った
アンドレ・ブルトンよ 通れ

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